北本市史 通史編 自然

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第2章 北本の地質

第1節 日本列島の誕生 

3 関東造盆地運動と北本

新期の造盆地連動と地形
ニニ五〇万年前(新第三紀)の古い時代に始まった関東地方一帯の造盆地運動(ぞうぼんちうんどう)は、第四紀初期ごろ(二〇〇万年前)から急速に進み、過去ー〇〇万年前には後氷期海進の海面上昇スピードに匹敵する年間ーミリメートルの沈降をもたらした。
大宮台地や下総台地・常総台地(じょうそうだいち)など関東平野全体に堆積する常総粘土層(陸上の湿地や氾濫原のような環境で堆積・陸成層)の高度分布と層序を追跡した小玉・鈴木(ー九八〇)は、常総粘土層堆積後の昇降運動と台地の形成過程に言及した。
それによれば、常総粘土層堆積当時の関東平野は、せいぜい二〜三メートルの微高地や自然堤防状の高まりを含めたほぼ平坦面であったが、主として武蔵野期(五万年前〜三万年前)に大きさ四〜二〇キロメートルの隆起ブロックと沈降ブロックの独立した地塊状傾動運動(ちかいじょうけいどううんどう)を生じ、それらが複合して関東平野全体の造盆地運動に発展したことを明らかにした。同時に沈降中心地域を、東京湾北部と春日部付近の二か所に見出した。
さらに台地と低地を限る崖線(がいせん)の形態や、低地を流下する河川や沼沢地などの配列形態は、地下深部の先第三系基盤の地塊状傾動運動と常総粘土層堆積後の昇降運動の反映であって、過去数万年以後におこった関東造盆地運動の実際の姿であると論じ、その平均沈降速度は年間二ミリメートル、六万年間に最大一五〇メートルにも達すると指摘(してき)した。
堀口 (ー九八一)は、「硬砂(かたずな)」と呼ばれる堅硬な砂層が市域の台地下をはじめ大宮台地や加須低地(かぞていち)の埋没台地下にも広く分布することから、大宮台地と加須低地の離水はほぼ同時期であると考えた。したがって、大宮台地の北部を沖積低地下に潜らせ加須低地に島状の埋没台地を形成した主な原因は、離水後の強力な関東造盆地運動にあるとした。

図14 関東平野中央部における武蔵野ロー厶層基底の構造等高線とブロックの変動

(堀口:1970・80より作成)

また、堀口 (ー九八一)は、埼玉平野の低地に埋没する考古遣跡や遺物等の埋没深度に三メートルもの差異があること、同時期に形成された武蔵野台地と隣接する入間台地(いるまだいち)の沖積面との比高が三倍近い相違を持ったこと等を根拠に、埼玉平野は、加須付近(加須付近)と川島町付近に沈降の中心があり、かつ平野内部がいくつかのブロックに分かれてそこが少しづつ異なる変動をとげていることを明らかにした。
以上のような事実から、市域の変動は次のようにまとめることができる。
大宮台地の最高所を占め、東・北東方向の加須低地に向かって次第に低下する市域の地形は、いわば、先第三系の基盤の高まりを反映し常総粘土層堆積後の数万年の関東造盆地運動の姿をうつしているといえる。

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