北本市史 通史編 原始

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第1章 火山灰の降る中で

第4節 北本の旧石器人

旧石器人のメイン・プラザ
市内のニッ家地区から桶川市加納地区にかけて、両市をまたぐように提灯木山遺跡(ちょうちんぎやまいせき)は広がっている。浅い侵食谷の谷頭部付近に占地しているが、大宮台地の所在する他の遺跡と比べ、ずいぶんと台地の内部に位置しているのが特徴である。
昭和六十三年(一九八八)には県道の拡幅工事(かくふくこうじ)にともない、県埋蔵文化財調査事業団による発掘調査が実施され、旧石器時代のユニット四か所・礫群(れきぐん)五か所のほか、縄文時代中期の住居跡七軒が検出された。旧石器時代の遺物については、いずれも桶川市域からの出土であったが三枚の文化層が確認され、大宮台地北部を代表する遺跡であることが明らかになったのである。
その後の平成三年(一九九一)には、市教育委員会により一次調査に隣接する南側の調査が実施された。その結果、新たに二つのユニットを検出し、ユニット群が市域へも広がっていることを知ることとなった。
これらの石器群は一次調査の石器群よりも若干(じゃっかん)新しく位置づけられ、さらに細石刃(さいせきじん)がニ点検出されている(写真7-③)。ともに一次調査で検出された三つの文化層のいずれにも該当しない。したがって、提灯木山遺跡では五つの文化層が設定できることになる。なぜ、このように異なる時期にわたって石器が検出されるのであろうか。確かなことはわからないが、少なくとも提灯木山遺跡では、長い期間にわたり旧石器人が好む何らかの環境が維持され続けたにちがいない。当時の人々はこれらの地点を活動の拠点として、しばしばにぎわいを見せたであろう。提灯木山遺跡は、旧石器人たちのメインプラザなのである。

図10 提灯木山遺跡ユニット実測図(2次調査)

写真6 提灯木山遺跡2号ユニット出土状態

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