北本市史 通史編 原始

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 原始

第1章 火山灰の降る中で

第1節 北袋の崖面から

降り積もる火山灰

図1 関東ローム層と段丘

旧石器時代の自然環境を特徴づけるものとして、氷河期とよばれる寒冷な気候のほかに、活発な火山活動をあげなくてはならない。現在でも日本は、世界有数の火山国ではあるが、当時の火山活動は、今とは比較にならないほど激しいものであった。地面の下に厚く堆積する赤土の正体が、ほかならぬ火山の噴出物なのだから、噴火のすさまじさがうかがえる。
地上に降下したばかりの火山灰は、黒くてサラサラとした砂のようなものであった。それが、長年の風化(ふうか)によって粘土化し、含まれる鉄分が酸化して赤味を増すと、しだいに現在のような姿に変わったのである。雨が降ればグチャグチャとぬかるみ、乾けば砂ぼこりをまき上げる。しかも作物の成育にも適さないため、どちらかといえば、人々の生活の中でうとまれてきた存在といえるかもしれない。
一般にはこの赤土を「関東口—ム層」と呼んでおり、堆積の古い順に多摩(たま)ローム層・下末吉(しもすえよし)ローム層・武蔵野ローム層・立川ローム層と、四つの層に分類されている。大宮台地では、このうちの武蔵野ローム層・立川ローム層が広くみられ、海抜の高い北部や南部の一部では、下末吉ローム層を加えた三層が台地を形成している。市域では北袋の崖でみたようにこの三層を確認することができる(図1)。
市内でヒトが生活を始めたのは、層位的にみると、立川ローム層の堆積期にあたる。そのため、彼らの痕跡(こんせき)は、立川口—ム層の中に埋もれていて、とくに黒色帯(こくしょくたい)より上の層に最も多い。この黒色帯の上にのっているローム層は、武蔵野台地における立川ローム層に相当する層準であるが、古富士山系の純粋な立川口—ムとは異なり、浅間山系の大里口—ムと呼ばれるものである。口—ム層中の鉱物を調べると、古富士山系はカンラン石を、浅間山系は(あさまさんけい)輝石類(きせきるい)を多く混入しているため区別できる。北本の旧石器人は、浅間山の火山灰を浴びながら、獲物を追う日々であったのだろう。
昭和四十八年(ー九七三)には浅間山が噴火し、市内の庭先や車のボンネットに灰黒色の火山灰がうっすらと積もったことは記憶に新しい。旧石器時代も今も、浅間山の影響をうける地であることに変わりはないのである。

<< 前のページに戻る