北本市史 通史編 原始

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 原始

第1章 火山灰の降る中で

第1節 北袋の崖面から

黒色帯土壌は化石だ

写真3 発達した黒色帯

(八重塚遺跡B区)

旧石器時代の遺物が出土する立川ローム層には、一見して区別できる黒色の地層をはさんでいる。この層は黒色帯、またはブラックバンドとよばれる埋没土壌である。火山活動の休止中、火山灰が降り積もらない好条件の中で植物が繁茂(はんも)し、さらに小噴火にみまわれながらも植物が成育しつづけ、それらが腐植(ふしょく)した結果である。つまり、黒色帯は当時の地表面なのだ。黒色をしている理由は、腐植による炭素やチッ素をはじめ、ススキ植物などに含まれるプラントオパ—ル(植物珪酸体)(しょくぶつけいさんたい)の含有量が高いためだといわれている。
武蔵野台地などでは、この黒色帯が立川ロームの上部に一層(第一黒色帯)、下部にもう一層(第二黒色帯)と、あわせて二層がはさまれている。ところが市域をはじめとする大宮台地の北半部では、厚く堆積した黒色帯が一層確認されるのみである(写真3)。一般に大宮台地の立川ローム層は、武蔵野台地とくらべて堆積が未発達のため、第一・第二黒色帯が圧縮されて一層になったという説もある。しかし、武蔵野台地の二本の黒色帯の間には始良丹沢火山灰(あいらたんざわかざんばい)(AT)をはさんでいるのに対し、市域の場合は黒色帯の直上付近にこの火山灰がみられることから、二層がつながったのではなく、第一黒色帯にあたる層は、何らかの影響により堆積できる環境になかったと考えるのが自然であろう。
この黒色帯の形成時期は、最終氷期とされるヴュルム氷期の極寒期にあたり、当時の平均気温は、現在より七度から八度ほど低かったといわれている。それでは、当時はどのような植生だったのであろうか。
植物相を知る場合、その時代の地層に含まれる花粉化石を調べるとかなり正確に復元することができる。花粉に限らず植物の実や貝・有孔虫(ゆうこうちゅう)・珪藻(けいそう)なども有効で、このような古環境を教えてくれる化石を示相化石(しそうかせき)、または示準化石(しじゅんかせき)という。東京都中野区の江古田泥炭層(えこだでいたんそう)では、ヴュルム氷期の極寒期(約二万年前)の植物化石群が出土し、当時の植生をよく伝えている。そこでは、トウヒ・カラマツ・コメツガ・チョウセンゴヨウなどの亜寒帯針葉樹林が優占(ゆうせん)し、またヤブナ・ミズナラ・シナノキなどの落葉広葉樹林が分布していたらしい(図2)。こうした環境は、身近なところでいうと栃木県奥日光の戦場ヶ原や群馬県の尾瀬ケ原周辺の植生とほぼ一致している。当時の大宮台地や武蔵野台地が、現在の標高約一五〇〇メートルほどの高地の気候であったことを物語っている(写真4)。

図2 最終氷期極寒期の日本列島と植生

写真4 晩秋の尾瀬ケ原

<< 前のページに戻る