北本市史 通史編 原始

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第1章 火山灰の降る中で

第2節 大宮台地にやってきた人々

火山灰の降る中動物を追って
進化にともなって生活圏を拡大した人類は、動物群の移動とともに日本列島へも渡ってくる。少なくとも旧人の時代にはすでに到達していたはずであるが、遺跡が急激に増え始めるのは三万年前からである。とくに関東平野は旧石器時代の遺跡が集中しており、全国の約四分の一にあたる数が分布している。埼玉県内では、大宮台地・武蔵野台地・下総台地(しもうさだいち)のほか、秩父盆地周辺の山地帯でも遺跡が確認されている。大宮台地や武蔵野台地こそはその最密集地域であり、市域もそこに属しているわけだ。

図4 大宮台地における旧石器時代の遺跡分布

市域の大半を形成している大宮台地は、北は鴻巣市から南は川口市にかけて広がる紡錘形(ぼうすいけい)の台地で、南北約三〇キロメートル、東西約八キロメ—トルほどの規模である。西は荒川低地、北は加須低地(かぞていち)、東は中川低地によって囲まれ、東側には島状の支台(しだい)が散在している。
大宮台地における遺跡の分布をみると、そのほとんどが谷津(やつ)の小河川にのぞむ台地上にあり、旧石器人の好んで生活した環境がわかる。こうした立地は、日々の生活に必要な水を得やすいという利点とともに、狩り場としても恰好(かっこう)の条件を備えていたことであろう。彼らは河川の水系に沿った台地の上を舞台に、ナウマンゾウやオオツノシ力などの獲物を追い求めながら、流浪(るろう)の日々を送っていた。一定の場所に永くとどまることはせず、数日から数週間で居住地を移動する、キャンプ・スタイルの生活をくり返していたようである。

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