北本市史 通史編 原始
第2章 豊かな自然と共に
第5節 生活を豊かにした道具
食料獲得に係わる道具図16 網の錘と石槍 宮岡氷川神社前遺跡・氷川神社北遺跡
森の中でのイノシシ狩りや、川や沼での投網打ちに威力を発揮し、獲物は食卓を賑わした。
漁撈(ぎょろう)に使う道具には、網・ウケ・ヤス・モリ・釣り針がある。市域周辺の内陸部では河川漁撈であり、網漁が主体であったろう。網の実物は残っていないが、錘(おもり)がみつかるので網の存在がわかるのである。錘は石製と土製と土器のかけらを利用した土器片錘(どきへんすい)とがある。投網(とあみ)用の錘である。小河川ではウケも使っている。現東京湾周辺の貝塚からは、骨製ヤスが早期から見つかっているし、釣り針も見つかっている。釣り針は後期になると組合せ釣り針も使用している。東北地方では晩期になるとモリを多量に使用している。前期以降には丸木舟と權(かい)がある。河川や湖沼地帯(こしょうちたい)では盛んに使われたであろう。対岸へ渡る交通手段であろうし、漁にも当然使われたのである。
採集に使う道具には、掘り棒と打製石斧(だせいせきふ)がある。根菜類(こんさいるい)を掘り出す道具である。明確に掘り棒と分かる棒が見つかっているわけではないが、掘り棒は先端さえ尖っていれば何でも良く、当然手近にあるにぎりやすい枝を使用したであろう。多量に出土する打製石斧は、かつては斧としての用途が考えられていたが、最近ではむしろ土堀り具としての用途が主と推察されている。長い柄を付ければ鍬(くわ)になり、短い柄を付ければ手鍬として使うことができる。もちろん木を伐ることも可能であるし、多機能な石器である。早期は自然の拳大(こぶしだい)の石の周辺を打ち欠いた礫器が主であり、中期には短冊(たんざく)形が主となり、後期には分銅形に変化する。
この他に運搬道具と限定はできないが、採集した食料を運搬した道具があるはずである。縄文時代は組物の技術が発達しており、竹や蔓(つた)を使用したザルやカゴの類が使用されていたであろう。運搬用にも保存用にも使う道具である。丸木舟は漁撈具でもあり、集落へ獲物を運ぶための運搬具でもある、広く交易するときの交通・運搬具として使用した道具の一つである。