北本市史 通史編 原始

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 原始

第2章 豊かな自然と共に

第5節 生活を豊かにした道具

調理に係わる道具

図17 精製土器(左)と粗製土器(右)

同時期に使用した深鉢に、精巧な文様を施した精製土器と煮炊き専用の粗製土器がある。

調理道具には土製容器、木製容器、石皿と磨石(すりいし)、たたき石、石匙(いしさじ)、杓子(しゃくし)、ザル、カゴがある。調理道具の代表は深鉢形土器(ふかばちがたどき)である。旧石器時代でも食料を葉でくるみ、焼けた石で囲み、火を通したり、焼けた石に水をかけて蒸し煮状態にしたりしていたが、なんと言ってもたっぷりのスープとともに煮込めることが重要である。草創期(そうそうき)に平底土器が生まれるのに、早期には再び尖底(せんてい)になる。不安定な尖底をなぜ選んだのだろうか。熱効率の良さから尖底が採用されているのである。後期になると深鉢形土器には、図17のように文様が複雑で丁寧(ていねいに作られた精製土器と、文様が簡素な粗製土器の二者がある。精製土器でも煮炊きしたことが付着したススで明確であるが、粗製土器は煮炊(にた)き専用に作られた器である。容積が大きい割に、底部は形ばかりの小さな平底で、尖底とほとんどかわりがない。煮炊きには底が小さい方が良かったのである。
石匙(いしさじ)は、小さなつまみが付いた石器である。包丁やナイフのように使ったものである。つまみの部分に紐を付け、腰に縛り付けて常時携帯(けいたい)していたことが推察されている。関東地方では黒耀石やチャートなど石鍬に使う石材で丁寧(ていねい)に剥離(はくり)して作ったものだけであるが、中部地方では石斧材で粗雑に剥離して作ったものとがあり、丁寧な作りの石匙は、食物を切り取って直接口に運ぶような時に使われたとの説がある。
写真9は高尾の城中(じょうちゅう)Ⅰ跡(原始P四三二)から見つかった石皿である。灰褐色をした安山岩(あんざんがん)を使い、平面形は長方形で、三方に縁を作り出し、一方を搔(か)き出し口としている。裏面には四か所小さな足を作り出している。見事な作りである。石皿は拳大の磨石とセットとし、木の実を磨りつぶす道具である。多くはドングリを粉末にするのに使ったであろう。中期に楕円形をした大型の石皿が出現するが、内側の磨りつぶす部分も平面形は楕円形で底も丸く、捏(こ)ね鉢としても使っていた。後期の方形で底が平らな石皿は、磨りつぶすことが主で捏ねるのは木鉢であろう。
ザルは、洗った後の水切、材料やできあがった食物を並べたりにも使っていたであろう。

写真9 石皿と磨石 城中Ⅰ遺跡

ドングリなどの堅果類を粉にするときに使用した。堅果類は、砕いて水で晒し、パンやクッキー状にして食した。

調理用具ではないが、食器に類する器もある。前期中葉になると浅鉢形土器と片口注口土器(かたくちちゅうこうどき)を作るようになる。早期前葉にもコップのような小さい器もあるが、稀(まれ)な存在である。本格的に器の形が分化するのは前期中葉からである。浅鉢は盛る器である。盛ったのは木の実だろうか、果物だろうか、いずれにしても食卓を賑(にぎ)わす器である。片口注口土器は深鉢形土器の口縁部の一部を外側へ飛び出させて、内部の液体を漏(も)らさないように注ぎやすくした器である。前期後葉から中期中葉までは注口土器は作られていない。東北地方で中期後葉に深鉢形土器に管状の注口部を付けた土器がー般化し、中期末になると浅鉢形に注口部を付けた土器に変化している。東北地方の影響で関東地方でも後期初頭になると浅鉢形注ロ土器を作るようになる。後期前葉以降は壺形土器を基本形とした注口土器となり、前葉は算盤玉形(そろばんがた)、中葉は球形となり、晩期には急須形(きゅうすがた)になる。深鉢形注口土器と浅鉢形注口土器は器の容積が大きく、器の中身はスープのような日常的な液体であったろう。壺形注口土器は、壺形土器が本来持っている中が虚(うつ)ろという呪術的(じゅじゅつてき)な性格、胎土が混ぜ物が少なく精選されていること 丁寧に磨いて製作していることから、中身が酒に類する液体に変わってきているのではないだろうか。晩期になると皿や小型の境形やカップ状の器も多く出土するようになる。
大宮市の寿能遣跡(じゅのういせき)からはたくさんの木器が出土しており、器の類も多い。大多数の台地上の遺跡では残っていないが、木製の器もたくさん利用していたのである。

<< 前のページに戻る