北本市史 通史編 原始

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第2章 豊かな自然と共に

第6節 まじないと信仰

まじない師たち

写真10 ハンディキャップを表現した土偶 山梨県上黒駒出土(東京国立博物館所蔵)

目・唇・指の異常を表現している。

まじないをすることに専従した人、つまりまじない師について、大塚和義(おおつかかずよし)の研究によれば、中期中葉になると手がかりがでてくる。写真10は中期の勝坂期(かつさかき)の土偶である。よくみると口が裂けている。単なるデザインではなく、胎内での発育過程に起こる形成不全を忠実に表現しているのである。今日では何でもないことであるが、縄文時代にあっては母乳を吸引する力が弱く、死亡することが多かったであろう。そうしたハンディキャップを乗り越えて生き残った人は、生命力旺盛(せいめいりょくおうせい)な特別の能力をそなえた人と認識されたものらしい。口唇の欠損による言語が不明瞭なことも特別の能力とみなされた可能性が高く、また、写真の土偶の手と目も異常を表現している。先天的であれ、後天的であれハンディキャップを負った人は特別の能力を供えた人としてまじない師になったのである(大塚和義『どるめん五号』ー九七五)。神との交信にはまじない師が必要だったのである。まじない師が使用した物に土面がある。県内では羽生市(はにゅうし)の発戸避跡(ほっといせき)で出土している。土面は祭りの時や、病を直す時などに着装したのであろう。仮面を着け、トランス状態に入り、神の託宣(たくせん)を伝えるのである。仮面のもつ共通の性格は変身である。まじない師が神に変身するのである。神に変身したまじない師は神そのものであり、その意味において土偶は神を表現しているのである。土偶が神を表現しているならば、先に触れたように、土偶の死は神の死である。食物栽培とは別系統で神の殺害はあったのかもしれない。身体の欠損を表現した土偶は勝坂期に限定されているが、古代以降製鉄と関連して理解するようになった一つ目や一本足の神、あるいはひろく片目の魚(柳田国男『一目小僧その他』ー九三四、谷川健一『青銅の神の足跡』一九〇〇)などの伝承の生まれて来る要因は縄文時代のまじないが深層にあるのかもしれない。

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