北本市史 通史編 原始

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第2章 豊かな自然と共に

第9節 四季の沿った生活のリズム

縄文カレンダー
春・夏・秋・冬、四季は規則正しく巡ってくる。世界の民族例による狩猟採集民は、農耕民に比ベ、時間にゆとりのある生活を営んでいる。縄文人たちは自然の流れに身をゆだね、自然と一体となって生活していたのである。

図22 縄文カレンダー(桶川市歴史民俗資料館提供)

春は新芽を摘む。成長すると食用にしない草木も、新芽はほとんど食用になり、縄文人たちは野や林の多くの植物から新芽を食用にしていたはずである。海浜地帯では貝の採捕が始まる。
夏は海浜部では貝採りが盛んになる。自家用だけではなく、内陸部との交易品である干貝を作るのである。内陸部でもシジミやタニシ・ニナなどを採る。緑濃くなった草類、野菜の類が食卓を賑わす。夏から秋にかけてはサメやスズキ・タイが魚期となる。野イチゴ類が実るのも夏から秋で、土器の中に貯えてお酒をつくるのもこのころである。
秋はドングリやクルミやシイなどの木の実集めに忙しくなる。茸(きのこ)も採る。茸類は有毒なものもあり、知識の少ない私たちは食する種類が少ないが、およそ四〇種類もの食用茸がある。産地に行くと、雑茸(ざつたけ)と呼ばれる茸を採集し、食している。縄文人たちも多種類の茸を食していたことであろう。私たちの食する茸は極端に少なく、限られたものになってしまった。秋にとれる食用植物が大切なのは、その量が多いということと、保存がきくということである。これらの作業はきびしい冬を乗り越えるための準備である。
冬は、木々の葉が落ちて寒々としてくる。木枯(こがら)しが吹いてくると、様々な生産活動は休みに入る。イノシシは一年を通じて狩りの対象となっているが、他の動物は活動が鈍くなる冬が狩りの盛期である。体力をたくさん使う冬に脂(あぶら)っこいカロリーの高い肉をたくさん食べるのは、合理的な食生活である。解体した動物の皮をなめすのは女性たちの役割である。家のなかで皮を噛(か)んでなめす作業がつづく。浦和市の円正寺遺跡や蓮田市の天神前遺跡から見つかった人骨の歯は著しくすり減っており、歯を使って皮をなめしていたことを証している。粘土の性質からいうと冬は土器を焼くのに適した季節ではないが、女性たちの働く分野が少し減った初冬に土器を焼いたことであろう。
日当りのよい斜面は雪の溶けるのも早く、そんな薄い残雪をかき分けて、フキノトウを掘り始めると、まもなく春である。

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