北本市史 通史編 原始

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第2章 豊かな自然と共に

第1節 狩りと採取の縄文時代

縄文語
古モンゴロイドたちが大陸から次々と渡ってきている間は、意志が通じ合える共通の言語であった。列島に閉じ込められてから言語も陸封(りくふう)され、独自の縄文語になっていった。現在の日本語に最も近い言語は朝鮮語であり、広くユ—ラシア(ヨーロッパとアジアの総祢)大陸にまたがるチュルク系、モンゴル系、ツング—ス系の諸言語など「アルタイ諸言語」と基本的には同一構造的特徴をもっている。そして単語から見ると南方系の単語が多い。つまり、日本語は、語順などにおいて北方の言語の骨格を持ち、単語などにおいて南方の言語の肉付けをもっているのである。こうした日本語形成がどのようにしておこったのか。インド語やヨーロッパ語が、さかのぼっていくとラテン語という祖語(そご)にいきつくが、日本語と起源を同じくする言語が少ないことから、日本語の祖語が不明なため縄文語を復原するにいたっていない。だから縄文人たちがどの様な言語を使っていたのかについてはいくつかの説があるが、まだ仮説にしか過ぎない。その中で安本美典(やすもとびてん)の仮説はなかなか魅力的である(「縄文語を追う」『言語一七巻二号』ー九八八年二月)。まず、日本語、朝鮮語、アイヌ語の三つは、二〇〇語からなる「基礎語彙表(きそごいひょう)」を用いた調査で、相互に、確立論的には偶然とはいえない関係を示し、ひとつのまとまりをみせている。このことからこれらは共通の言語から分かれたものと推定し、分かれる前の共通語の言語を「古極東アジア語」と名づけた。「古極東アジア語」系の言語は、語彙の近さでまとまりをみせるばかりでなく、語頭に二つ以上の子音がこないこと、rとlとの区別がないこと、本来は清音(せいおん)と濁音(だくおん)の区別がなかったらしいこと、二重母音をさける傾向があること、語の平均の長さはほぼ二音節であること、基本的な語順が一致すること、日本語の「てにをは」にあたるものをもつこと、あ・お・うの三つの母音が一つの単語の中で具合い良く同居する母音調和の現象があったらしいことなど、音韻上(おんいんじょう)、文法上の共通性をもっているのである。
今から五、六〇〇〇年ないし一万年前ごろに、モンゴル祖語に近い言語を使う集団が、ユーラシア大陸の東北部に押し出された。それが、「古極東アジア語」を形成した。「古極東アジア語」は、朝鮮半島、北海道、北海道以外の日本など、地理的にわかれて住み、分化し、周辺の言語などの影響もうけ、変化していった。そして、朝鮮語、アイヌ語、日本語になっていったという説である。
新モンゴロイドたちは、また異なった言語を持ち込んでおり、沖縄の首里方言(しゅりほうげん)と本土方言との分離の時期が約一七〇〇年前、すなわち弥生時代となることが説かれていることをみても、弥生時代には言語も含めて大きな変革が起きたのであろう。

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