北本市史 通史編 原始

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第3章 米作り、そして戦争の始まり

第1節 弥生時代の幕開け

縄文文化と弥生文化の違い
約ー万年もの永い間、縄文時代のくらしが続いていたころ、日本列島の西の端に朝鮮半島から米を作る技術が伝えられた。紀元前五世紀ごろ、今から約二五〇〇年程前のことである。米作りの始まりによって、列島は弥生時代へと時代が移った。弥生時代は、また、金属の道具を使い始めた時代であり、さらに社会の仕組みが整えられていった時代でもある。弥生時代の続いた時間は、長くみても七〇〇年あまりで縄文時代と比ベるとはるかに短いが、今日の私たちの生活や習俗・文化を決定づけた重要な時代となった。
米作りの始まりは、ただ単に食べる物が変ったというだけにとどまらない。米作りがスム—ズに行えるように社会の仕組みや人間関係が変えられた。大人も子供も老若男女も、それぞれに米作りを中心とした社会の中でそれぞれの役割を分担するようになった。変ったのは、人間社会の関係だけではない。人間と自然との間にも新しい関係が結ばれることになる。繰り返し収穫をもたらす大地もまた、縄文時代とは異なった目で見られるようになる。米作りが支障なく行われ、実りある収穫が得られるよう、神と自然と大地に祈りを捧げる農耕儀礼が始まった。
しかし、米作りの始まりは、当時の弥生人たちすらも思いも及ばなかった方面へも大きな影響をもたらした。最近の研究によれば、弥生人たちは米だけで十分な食糧を確保できていたわけではなかったらしい。しかし、食糧生産の開始と定住によって、確実に縄文時代とは比較にならない速度で人口が増加した。人口の増加は耕地の拡大を促し、そのために森林が犠牲(ぎせい)にされ、自然の植生の変化をも引き起こした。しかも伐採された禿(は)げ山は、たびたび洪水を発生させ災害をもたらした。これらは、最初の環境破壊といっても良い。また、貯蔵された種籾(たねもみ)や水田そのものを略奪するために戦争を生み出した。土地は持って逃げることができない。好むと好まざるとに関わらず、自分の土地を守るために外敵に立ち向かわなくてはならなくなった。戦争の始まりである。
弥生時代は、物質的には豊かな現代社会への出発点となったが、それは同時に戦争や公害など、今日私たちが抱える様々な社会問題の始まりでもあったのだ。

図23 宮の台式土器

縄目で飾られてはいるが、器の形はれっきとした弥生の姿だ。

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