北本市史 通史編 原始

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 原始

第3章 米作り、そして戦争の始まり

第5節 農耕社会の発達とク二づくり

地域色のある土器
吉ケ谷式土器(よしがやつしきどき)は、台付甕でなく平底の甕をもち、櫛描文(くしがきもん)を使わず荒い縄目文で飾った特徴的な土器である。最初に比企丘陵で発見されたため、漠然と比企丘陵一帯に分布する土器とされていた。群馬県東部に分布する赤井戸式土器(あかいどしきどき)とも良く似ている。最近、大宮台地や県北の妻沼低地(めぬまていち)でも吉ケ谷式土器が見つかるようになり、しだいに分布の状況がつかめるようになってくると、 この土器は埼玉県北東部から群馬県東部へ連なる、利根川を中心にちょうど南関東と北関東の境界一帯に分布する土器であることがわかってきた。北関東西部の土器と南関東西部の土器の緩衝地帯(かんしょうちたい)に分布する土器なのである。台地北部では、北に隣接する鴻巣市の登戸新田遺跡(のぼりとしんでんいせき)などで吉ケ谷式土器が出土する一方、南に隣接する桶川市域では、楽上遺跡(らくじょういせき)や砂ケ谷戸(いさげいと)Ⅱ遺跡で、弥生町式土器に混じって吉ケ谷式土器がかなり出土している。市域はちょうどその接点だ。大宮台地北部の遺跡では、弥生町式土器に混じって必ずといってよい程、壺以外に甕や高坏(たかつき)も出土している。弥生町式土器を使用するムラと吉ケ谷式土器を使用するムラの間で活発な人間の交流があったのだ。吉ケ谷式土器を携(たずさ)えて弥生町式土器のムラへ嫁入りした娘もいたに違いない。

図40 弥生町式土器・吉ヶ谷式土器

<< 前のページに戻る