北本市史 通史編 原始

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第3章 米作り、そして戦争の始まり

第5節 農耕社会の発達とク二づくり

市内の遺跡

図41 市内の遺跡

1.北袋Ⅶ遺跡 2.石戸城跡 3.八重塚遺跡A区 4.東谷足Ⅱ遣跡 5.榎戸Ⅱ遣跡

市内では、弥生時代後期の遺跡は、現在五か所ほど確認されている。先に述べたようにいずれも弥生時代終末の前野町期のものである。南に隣接する桶川市では、西部の江川水系や旧入間川沿いの台地端部に遣跡が多く分布しており、市内でも八重塚遺跡A区(原始P四四七)や榎戸Ⅱ遣跡(原始P五四九)などで前野町期のムラが見つかっている。それに対して東側の赤堀川沿いでは現在まで弥生時代後期の遣跡は発見されていない。これは、別に市内にかぎったことではなく、綾瀬川や元荒川沿いの谷筋では、旧入間川沿いと異なり、上尾市より北では弥生時代後期のムラが非常に少ない。大宮台地内部の谷筋では埋没の程度が大きいから遣跡が深く埋もれている可能性もあるが、それよりもこれら内部の谷筋が当時の主要な交通路であった旧入間川水系から外れていたためと開析谷(かいせきだに)そのものが当時の水田ではなかったという理由によるためと考えた方が良いのかもしれない。旧入間川こそが当時の幹線道路だったのだ。

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