北本市史 通史編 原始

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第3章 米作り、そして戦争の始まり

第6節 祭と墓

独特な土器棺墓
弥生時代の初期のころ、関東から東北地方南部 にかけて、特徴ある死者の埋葬方法が広まった。おそらく 一度何らかの方法で白骨化させた遺骨の一部を土器に納めて再び葬る方法で、これを再葬墓(さいそうぼ)と呼んでいる。関東地方では、利根川中流域周辺の低地で自然堤防などの微高地(びこうち)の上に多く営まれ、台地の上には少ない。大宮台地周辺では熊谷市の横間栗遺跡(よこまぐりいせき)で発見されているが、ここも微高地の上である。この墓制の意味そのものは良く分からないが、弥生時代の初期にこのような特徴的な墓制が広まった背景には、米作りなどの新しい文化の受容に伴う生活様式の大きな変化が、東日本の弥生人たちの精神文化にも大きな影響をもたらしたということは確かである。

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