北本市史 通史編 原始

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第3章 米作り、そして戦争の始まり

第2節 弥生文化の成立と波及

採集民だった縄文人
ところで、今のサラリーマンたちに突然明日から米を作れといったらどうだろう。手とり足とり教えてくれる人がいたとしてもなかなかうまくゆかないに違いない。なぜ縄文人たちは、いとも簡単に農耕を受け入れることができたのであろうか。最近、土器などに残った脂肪酸(しぼうさん)を分析して当時の食生活を探ろうとする面白い研究が進められている。これによると、実り豊かな照葉樹林文化(しょうようじゅりんぶんか)の中に育った縄文人たちは、普段から魚や動物の肉などよりも、木の実や根菜類(こんさいるい)などの植物をたくさん食べていたというのである。元来の食生活が植物中心であったため、稲作が大きな食生活の変化につながらなかったことに加え、アクぬきなど植物を加エする技術がすでに高度に発達していたことが、農耕を受け入れやすい素地(そじ)になっていたのである。

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