北本市史 通史編 原始

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第4章 巨大な墓を競って造った時代

第5節 埴輪と再生のまつり

埴輸は何を物語っているのか
中井一号墳の発掘調査は部分的なものであって、出土埴輪にも極端な偏(かたよ)りがある。それは円筒埴 輪の量が極めて少ないこと、通常組成に加わるべき馬形埴輪や家形埴輪の破片が認められないことに示されている。このため現在知られている資料のみから中井一号墳の埴輪群総体の意味を推し量(はか)ることは不可能である。しかし、発掘した位置は人物埴輪が集中して立てられていた位置と重なっており、大要を知ることは可能である。まず、頭部の個体から女子像は二個体の存在が明らかであり、その一方は格段に大型の製作であることから重要な意味を持っていたのではないかと考えられる。他の多くの資料から知られているのは、女子像の中心人物は葬送にかかわる一連の儀礼を司る巫女(みこ)だという事実である。それは今日的な職業巫女ではなく、被葬者の妻や娘などの肉親がその役を果たしたのではないかと考えられている。男子像は少なくとも二個体があったとみられる。一方は剥落した美豆良(みずら)や大刀から武人的な人物と推測することが可能であろう。また他方は手首の隠れる筒袖(つつそで)の盤領衣(あげくび)を着用し、頭に高句麗(こうくり)の男子の被(かぶ)りものとしてしられる析風(せっぷう)(三角冠)を付けていることから渡来人を表現した可能性が強い。

図58 中井1号墳出土人物埴輪1(1/4)

図59 中井1号墳出土人物埴輪実測図2(1/4)

図60 千葉県山倉1号墳出土の渡来人をかたどった人物埴輪

渡来人を表現した人物埴輪と考えられている資料は今までに三例が知られている。ひとつは千葉県市原市山倉一号墳の出土品(図60)であり、残りの二例は埼玉県行田市酒巻一四号墳の出土品である。中井一号墳出土品を含めて四者に共通するのは手の隠れる長い筒袖の盤領衣を着用することと析風を頭に戴いていることである。全国的にみても稀な資料であるが、古墳時代後期の関東地方には朝鮮半島からの渡来人がその国の習俗を保った状態で居住している場合のあったことを知りうる。中井一号墳に渡来人を表現した人物埴輪が立てられていた事実は、中井一号墳の被葬者が渡来人と密接な関係を保っていたことを示していよう。このことは渡来人が市内の旧入間川沿いの古墳群の形成はもちろん、その地域の灌漑(かんがい)や農耕具の製作を含む開発や機織(はたおり)などの手工業に深く関与し、新来の技術の普及に大きな役割を果たしたことを想像させる。中井一号墳の埴輪群像の意味を把握するためには今後の計画的な調査に期待するほかないが、渡来人との交渉の事実が明らかになったことは大変重要な成果であった。

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