北本市史 通史編 原始

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第4章 巨大な墓を競って造った時代

第5節 埴輪と再生のまつり

埴輪の生産と供給
市域に隣接する鴻巣市内には生出塚(おいねづか)と馬室の二つの埴輪製作遺跡が知られている。
このうち生出塚埴輪窯跡は現在二八基の埴輪窯が調査されており、わが国でも最大級の埴輪生産遺跡である。そこで製作された大型の円筒埴輪は大量に埼玉古墳群に供給されていることから、埼玉古墳群直属の埴輪工房であったと考えられる。ただし、供給地はかなり広範であり、北足立をはじめ比企や入間地方にも及んでいるばかりでなく、前述した市原市の山倉一号墳にも供給がなされていたとみられる。中井一号墳の埴輪も胎土(たいど)、焼成のほか人物埴輪の面相や顔面彩色の形式が生出塚窯のものと共通している。生出塚埴輪窯から製品の供給を受けるのは埼玉の大首長の政治的影響下にあった人々と考えることができるならば、中井一号墳の被葬者も租税の貢納(こうのう)や軍事的奉仕などを通じて埼玉の大首長とつながりを持った小地域の首長であったとみることが可能であろう。

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