北本市史 通史編 原始

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第4章 巨大な墓を競って造った時代

第6節 三つの川に育まれた農耕と集落

赤堀川流域
赤堀川は元荒川の東側を併行して流れる小河川で、鴻巣市下谷(しもや)を水源とし、桶川市加納で元荒川に合流している。大宮台地が東側に傾斜する部分の降水を集めているため、現在では主に水田の排水路として使用されているに過ぎず、地形変化に乏(とぼ)しいため遺跡の分布は少ないと見られてきたが、近年、旧石器時代以降各時代の遺跡が相次いで発見されている。なかでも古市場の上手遺跡(うわでいせき)(原始P五九八)からは古墳時代初頭の住居跡五軒が集中して発見され、すでにこのころ農耕を開始していたことが明らかとなった。多くの住居跡から炭化した建築材が出土しており、火災に見舞われていることが判明している。発掘は集落の西側のごく 一部に及んでいるだけなので、かなり大規模な集落であった可能性がある。赤堀川流域では今のところこの他に集落遺跡は調査されていないが、雑木林遺跡(原始P五九六)から古墳時代後期の鬼高式土器(おにたかしきどき)が、上手遺跡から平安時代の須恵器(すえき)が出土しており、今後継続的な集落の発展が証明されることとなろう。

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