北本市史 通史編 原始

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第4章 巨大な墓を競って造った時代

第8節 祭祀と信仰

鎮魂の祀り

図65 滑石製模造品と手捏ね土器

集落や峠の祀りで用いられたのは粗雑な、鏡・玉・剣の三種の神器を象った滑石製品と小さな土器であった。

古代人は神への畏(おそ)れと同時に悪霊への恐れを強く感じていた。このため、人が死亡した場合、その葬送の段階では、故人の霊が子孫や村(共同体)に祟(たた)りをなさないように、丁重(ていちょう)な鎮魂の祀りを行った。本章第五節でふれた中井一号墳(原始P三二四)の人物埴輪群は、古代の霊肉分離思想と関連してモガリ(再生のために一定期間埋葬せずに魂を呼び返す儀礼)を示すものと推定されるが、これも悪霊化することを恐れての措置であったといいうる。このほか、造り出しや墳頂部、横穴式石室の前庭部(ぜんていぶ)など古墳の外部には様々な土器類が大量に据え置かれる場合があり、モガリの他に、墓前祭祀が行われていた。一族の祖先と目される人物を葬った古墳や追葬の可能な横穴式石室墳の場合、相当長期間の祭祀が継続的に行われていたようである。

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