北本市史 通史編 原始

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第4章 巨大な墓を競って造った時代

第8節 祭祀と信仰

山や川などの自然に対する祀り
第一節でふれた三輪山は大和国の代表的な神体山で、山麓のいたるところに祭祀遺跡が残されている。特に顕著なのはおおぶりの自然石を配置した磐座(いわくら)であるが、このような祭祀方法は関東地方にも及んでいて、たとえば赤城山には櫃石(ひついし)と呼ばれる巨大な磐座が知られている。これらは聖なる山のきわだった岩を神の降臨するための依代(よりしろ)と古代人が信じていたために全国各地に広まったものと考えられる。埼玉県では神川町にある金鑽神社(かなさなじんじゃ)が典型的な神奈備祭祀(かんなびさいし)を伝えている。金鑽神社は延喜式内社(えんぎしきないしゃ)で一〇〇〇年以上の歴史を持つが、本殿はなく拝殿から神体山である御室山を拝む伝統的な祭祀形態を残している。これは奈良の三輪神社と共通するものである。このほか秩父郡長瀞町(ながとろまち)の宝登山神社(ほどさんじんじゃ)なども山容の美しさから古代から祀られ続けてきた神奈備山(かんなびさん)と見てよいだろう。

写真29 箸墓古墳(左)と三輪山(若松良一提供)

一方、川の祭祀で代表的なものに美里町のこぶケ谷戸祭祀遺跡があり、天神川のほとりにある七つの岩を対象として、手づくね土器などの祭祀遺物が供献されていた。市域の近郊では、桶川市の加納に延喜式内社多気比売神社(しきないしゃたけひめじんじゃ)があり、元荒川と赤堀川の合流点の篠津(しのづ)に位置していることが注目される。多気は竹の意味とみられ、河川の合流点に形成された沼と竹林を祭祀の対象としていたものと考えられる。祭祀遺跡の分布調査の待たれるところである。このほかでは熊谷市の湯殿神社の背後にある沼には滑石製(かつせきせい)の櫛や鏡などの供献(きょうけん)が古くから知られている。このような山や川、沼や泉などを対象とする祭祀はそこに神の存在をみるアニミズムの世界に属するものであり、古代祭祀ひいては原始神道の典型ともいえるものである。そこには農業の豊穣(ほうじょう)の可否を左右する水への祈りの切実さを見ることができる。

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