北本市史 通史編 原始
第4章 巨大な墓を競って造った時代
第8節 祭祀と信仰
山や川などの自然に対する祀り第一節でふれた三輪山は大和国の代表的な神体山で、山麓のいたるところに祭祀遺跡が残されている。特に顕著なのはおおぶりの自然石を配置した磐座(いわくら)であるが、このような祭祀方法は関東地方にも及んでいて、たとえば赤城山には櫃石(ひついし)と呼ばれる巨大な磐座が知られている。これらは聖なる山のきわだった岩を神の降臨するための依代(よりしろ)と古代人が信じていたために全国各地に広まったものと考えられる。埼玉県では神川町にある金鑽神社(かなさなじんじゃ)が典型的な神奈備祭祀(かんなびさいし)を伝えている。金鑽神社は延喜式内社(えんぎしきないしゃ)で一〇〇〇年以上の歴史を持つが、本殿はなく拝殿から神体山である御室山を拝む伝統的な祭祀形態を残している。これは奈良の三輪神社と共通するものである。このほか秩父郡長瀞町(ながとろまち)の宝登山神社(ほどさんじんじゃ)なども山容の美しさから古代から祀られ続けてきた神奈備山(かんなびさん)と見てよいだろう。
写真29 箸墓古墳(左)と三輪山(若松良一提供)