北本市史 通史編 古代・中世

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第3章 武士団の成立

第3節 古代末期の争乱と武蔵武士

足立遠元の活躍
平治の乱に源義平麾下(きか)として参戦していた足立遠元は、内裏の待賢門を守衛していた。この時、清盛の嫡子の平重盛が、五〇〇騎を率いて御所の待賢門に攻擊をしかけてきた。その勢いを見ておびえた信頼は一戦も交えずに退却した。勢いを得た重盛が大庭の椋(むく)の下まで押し寄せてきたところ、これを見た義朝が、義平に重盛撃退を命じた。義平を先頭にしてそれに続く精兵は足立遠元等一七騎、勇戦奮闘して重盛勢を追い散らし、六波羅邸まで追い詰めた。
足立遠元は、金子十郎家忠と共に先陣で活躍した。家忠は、村山党に属する武士であったが、奮闘のあまり矢種が尽き、弓が折れ、太刀までが折れてしまった。そこで通りかかった足立遠元に代わりの太刀を乞うた。遠元は気の毒に思ったが自分にも余分の差料(さしりょう)(腰に帯びた刀)がなかったので、先駆していた郎等の太刀を取り上げて家忠に渡した。家忠はたいへん喜び多くの敵を討ち取った。

写真13 平治物語絵巻 三条焼討ち

(東京国立博物館所蔵)

太刀を取り上げられた郎等は遠元に対して、「日ごろ、私のことを物の役に立たない者と思われているので、こういう合戦の最中であるのに私の太刀を取り上げたのでしょう。こういうことでは御供して何になりましょう」と言って、遠元を恨み別れようとした。遠元は郎等を押し止め、敵一騎が向かってくるのを弓で射落とし、ねじ伏せて太刀を奪い、太刀を与えたという。
この平治の乱は源氏の敗戦に終わったため、遠元は古里の武蔵国足立郡に帰って逼塞(ひっそく)し、ひたすら源氏の再起を待った。

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