北本市史 通史編 古代・中世

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 古代・中世

第6章 後北条氏の武蔵進出と岩付領

第5節 豊臣秀吉の天下統一と岩付落城

小田原城の開城
岩付城が落城して以後も太田氏房は兄北条氏直を支え、その有カ部将として小田原籠城を続けていた。六月十六日と二十五日に家臣の天野主殿助(とものすけ)・内田兵部(ひょうぶ)に籠城中のため借銭の返済を免除している(「天野文書」「屋代家文書」)。このニ点は、氏房が残した最終文書で、両名は岩付衆の一員として小田原に籠城していた。
岩付落城に続いて豊臣軍の猛攻を受けた北条氏邦は六月十四日ごろ、鉢形城を開城、六月二十三日には八王子城も落城し、後北条氏が維持しているのは小田原本城と忍城だけになった(『神奈川県史通史編一』第三編第四章第三節)。孤立した北条氏直はついに七月五日、秀吉に降伏し、小田原城を開城したのである。秀吉は北条氏政・氏照兄弟等の四名を死罪とし、氏直以下その他の関係者は助命して高野山に蟄居(ちっきょ)させた。こうして、関東に君臨(くんりん)し北武蔵を支配していた後北条氏は滅亡したのである。

写真69 豊臣秀吉朱印状

(埼玉県立博物館所蔵)

<< 前のページに戻る