北本市史 通史編 古代・中世

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第7章 北本周辺の中世村落

第1節 村落と農民生活

北本周辺の荘郷(しょうごう)
中世のころの各地の村落は、荘園領主や在地領主(開発領主、地頭)の支配の単位である荘園や郷(国衙(こくが)領、公領)に分属していた。それらは近世の宿村よりはるかに広く、当時の農民達の生活圏ともなっていたと考えられる。現在知られているのは単なる広域地名や伝承の域をでないものが多いが、それらは何らかの意味で中世の農民生活と深い関わりを持っていたことも考えられる(『県史通史編二』第五章第一節。
『新記』には市域が属していた荘郷(しょうごう)として深井庄・鴻巣郷・石戸郷が記されている。このうち、深井庄・石戸郷ともかなり広域で、あわせると鴻巣・北本・桶川・上尾の四市に及んでいたという。ただし、その実在については確証はなく慎重に検討する必要がある。それに対して鴻巣郷は、戦国時代の古文書によってその存在を確認できる。先述したように(本編第六章第五節)、天正十八年(一五九〇)六月一日に浅野長吉は鴻巣郷の大島大炊助(おおいのすけ)以下五人の地侍にそれぞれの在所に還住するよう命じている(古代・中世No二五六)。従って、彼らが帰農した宮内(北本市)・下谷(鴻巣市)地区は中世の鴻巣郷であろう。
また、天正五年三月十一日にこの付近を支配していた助次郎は、「鴻巣宮内百姓中」と「鴻巣別所村百姓中」に不作田畑の開発を命じており、両村(いずれも北本市内)は今の鴻巣より広い地域に含まれていた(古代・中世No二一三)。以上のように鴻巣郷は実在し、市内の宮内・別所や鴻巣市下谷地区などが属していた。市域東北部から鴻巣市西南部に及ぶこの付近一帯が鴻巣郷であった。

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