北本市史 通史編 近世

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第1章 江戸幕府の成立と北本市域

第4節 検地の実施

3 慶長~寛永期の検地

荒井村の検地
荒井村ほ、徳川氏の関東入国後牧野讃岐守康成が知行所として賜り、以後幕末まで牧野氏による支配が続いた。『新記』によれば、「慶安三年(一六五〇)内匠頭(たくのみかみ)信成の時三男八太夫尹成に分地し、其後天和二年(一六八二)尹成が次男助三郎貞成へ再び分地せし故、今は貞成の子孫牧野藤五郎が知る所なり」と記されている。『武蔵田園簿』では、村高二五五石七斗九升である。
現存する検地帳は、まとまったものは元和六年(一六二〇)のみであり、他に元和九年(新田)・寛文七年(一六六七畑のみ)・享保十二年(一七二七 新田)のものがある。
元和六年の検地は、牛田杢右衛門以下六名の検地役人の手によって、八月十日~十四日までの五日間にわたって施行され、田(一冊)・畑(三冊)・屋敷(一冊)の計五冊の検地帳が作成された。記載形式は本節冒頭の通りである。
表6 荒井村高反別構成表

(単位:石)                    

地目等級 反 別(畝)  割合(%)筆数 
田 上田 167.73 21.9 17 
中田 179.83 23.5 23 
下田 419.03 54.7 90 
小計 766.59 100.0 130 
畑 上々畑 261.13 6.9 37 
上畑 730.77 19.4 81 
中畑 918.97 24.4 112 
下畑 1759.97 46.7 253 
下々畑 95.37 2.5 18 
小計 3766.21 100.0 501 
合 計 4532.80 —— 676 
屋 敷 207.37 —— 45 

(『市史近世』№68~72より作成)

田畑の等級は、田が上・中・下の三等級、畑が上々・上・中・下・下々の五等級に分けられており、内訳は表6のとおりである。下畑の占める割合が四六・七パーセントと最も多いが、下々畑は二・五パーセントで筆数・面積ともに極端に少ない。これは、この時期に新田開発は積極的に始まっているものの、まだ、高入れには至っていないためではないかと思われる。そのことは、寛文七年(一六六七)の検地帳では、耕地面積の急増とともに、下々畑が二一・〇パーセントを占めるに至っていることからもわかる。耕地総反別は四五町三反二畝二四歩で、このうち田が七町六反六畝一八歩(一六・九パーセント)、畑が三七町六反六畝六歩(八三・一パーセント)で畑が圧倒的に多く、この他に屋敷地二町七畝一一歩がある。
名請人(検地帳に登録された、その土地の所有者)は表7のとおり九一人(№1~№91)であるが、このうち屋敷地のみを登録された者が八人(№84~№91)おり、耕地を所有する者は八三人(№1~№83)である。また、その他に耕地も屋敷地も持たない分付百姓八人(№92~№99)の名が見える。最大の土地所有者は検地の案内役をつとめた理(利)右衛門(№82)で、五町九反二畝八歩(田四反六畝一八歩、畑五町四反五畝二〇歩)の田畑と屋敷地一反一〇歩を所有している。この理右衛門は、雅楽助(うたのすけ)(№l)・織部(№2)とともに荒井村における「草分け」の一人で、在地の土豪的存在であり、下人等を使い手作経営を行うとともに、畑四町三反六畝八歩は分付地(ぶんづけち)として一四人の者に耕作させ、さらに、双徳寺分の畑三反一〇歩を耕作していた。ところが、いつのころからか没落し、享保期までにはその屋敷地さえも福嶋大蔵の子孫の手に渡ってしまったことが、享保十二年(一七二七)の「座配争論」(矢部洋蔵家 二四三六)からわかるが、その理由については不明である。ちなみに、この大蔵(№50)は、理右衛門と分付関係にあり、理右衛門分の畑四反二畝二歩を耕作しているが、屋敷地三畝一八歩、田畑三反四畝九歩の名請地(自分の土地)を持ち「古来より年寄」という家柄であった。
ここで「草分け」について少し触れておこう。『新記』宮内村の条には、岩付城主太田氏の臣で、御入国後に帰農土着した大島大炊助・大島大膳助・矢部新右衛門・矢部兵部・小川圖書の五人に対する「御暇の書」を載せている。このように、岩付城主太田氏や甲州武田氏の臣、石戸城や松山城の落人、その他戦乱に敗れて北本の地に帰農土着したもの、或いは在来北本の地にあって先祖伝来の耕地を耕した人々、それらのうちでそれぞれの村の中核となった人々を村の「草分け」又は「草切り」などという。しかし、いうまでもなく現代に引き継がれる北本の近世村落の成立とその発展は、いわゆる「草分け」といわれる人々のみの力によるものではない。今を去る一〇〇〇年余の昔から、北本の地にあって営々として開発の鍬を振ってきた数多くの農民の力をまってはじめて可能である。にもかかわらず、近世村落の成立の過程でその地位を尊重されたことから、彼らだけが村の草分けといわれるようになり、のちに村内に変動が生じ、必ずしも草分け当時の地主が中心でなくなっても、その家柄は高いものとして尊重されたようである。
さて、次いで二番目に多いのが織部(№2)で、二町九反六畝九歩(田三反一畝二四歩、畑二町六反四畝)の田畑と屋敷地七畝一四歩を所有しており、下石戸村の検地帳にもその名が見える。この織部は、のちに枝郷北袋の名主となる斉藤家で、北袋の「草分け」でもある。「北袋の御年貢は、(斉藤)太左衛門方へ取立、新井村名主方へ相渡し上納」というように、北袋九戸は斉藤家に年貢を納め、それを斉藤家がまとめて荒井村名主に納めるという形で年貢等の納入が行われており、徴租代行権を思わせ、あるいは枝郷百姓にとっては二重の支配があったのかもしれない。
三番目に多いのが雅楽助(うたのすけ)(№l)である。この雅楽助は、荒井村「草分け」の一人で、代々荒井村の名主をつとめた矢部家の先祖であり、検地の案内役もつとめている。村内に二町八反九畝一四歩(田九反三畝二歩、 畑一町九反六畝一二歩)の田畑と九畝歩の屋敷地を所有しており、ほかにも下石戸村の畑五反九畝二一歩をはじめ、吉見領においても田畑二町歩余りを所有している。また、寛永九年(一六三二)の「山年貢帳」を見ると、荒井村の三分の一以上を独占しており、おそらく他の村々においてもかなりの土地を所有していたものと推測することができる。さらに、四番目は茂左衛門(№69)で二町八畝一八歩(田四反五畝二六歩、畑一町六反二畝二二歩)の田畑と屋敷地六畝歩を所有しているが、これは新井帯刀(№51)の子と思われ、両者を合わせると二町三反八畝二二歩となる。ちなみに、この上位三人の持高を合計すると一一町七反八畝一歩で全耕地面積の二六・〇パーセント、同一〇人では二二町二反二一歩で実に四九・〇パーセントにも達する。
表7 武州足立郡荒井村農民構成表(元和6年)

(単位:畝歩)

No名請人 屋敷(区分) 畑(筆数) 田(筆数) 田畑合計(筆数) 分付地(A)  被分付地(B) 
雅楽助 9. 0畝歩
196.12(21)  
畝歩
93. 2(7)   
畝歩
289.14(28)  
4. 2(2)  
おりへ 1.19(居) 
5.25(抱)   
264.15(36) 31.24(6) 296. 9(42) 152.11(10)  
市右衛門 7. 3( 2) 7. 3( 2) 
喜右衛門 2.28(居) 
1.18 
37. 8( 5) 37. 8( 5) 
喜左衛門 2.20(居)  37.17( 4) 37.17( 4) 10.18(1) 
九左衛門 3.14(1) 3.14(1) 
九郎右衛門1.6(1) 1.6(1) 
久二郎 6.20(1) 6.20(1) 
源右衛門 59.27( 8) 27.21(2)  87.18(10) 
10 源左衛門 2. 3(居)  7.18(1)  7.18(1) 
11 源三郎 5(1) 5(1) 
12 源十郎 2. 3(居) 
2. 3 
54.17( 7) 14.19(4)  69. 6(11) 
13 玄番 9. 4(4)  9. 4( 4) 
14 五郎左衛門 4.24(居)  80.19(10) 6.26(1) 87.15(11) 
15 作蔵  10.0 4.19(1) 4.19(1) 
16 三郎左衛門 4. 5(1) 4. 5(1) 
17 新右衛門 2.28 139.18(23) 25.15(9)  165. 3(32) 
18 新左衛門 9.22 79.26(13) 15.11( 3)95. 7(16) 4.10(1)  
19 新四郎 9.24(1) 9.24(1) 
20 新兵衛 26. 2( 5) 14.16(2) 40.18( 7) 
21 次郎右衛門 6.16(1) 6.16(1) 7. 6(1)  
22 十右衛門 9. 5(1) 9. 5(1) 7.25(1)  
23 主作  16. 7( 3) 16. 7( 3) 217. 5(4)  
24 春庭  18. 9( 3) 18. 9( 3) 
25 正円(坊) 76.13(10) 76.13(10) 39.19(2)  
26 正徳寺 2.28(1) 2.28(1) 
27 庄左衛門 3. 9(居)  73.13( 9) 17.11(6) 90.24(15) 
28 庄三郎 86.16(12) 23.22( 4) 110. 8(16) 3.29(1) 4. 5(1)  
29 四郎左衛門 14. 7( 3) 23. 3( 5) 37.10( 8) 19.16(1)  
30 甚右衛門 41.3( 2) 41.3( 2) 16. 4(2)  
31 甚左衛門 2.20(居)  22(1) 22(1) 
32 神左衛門 11.8(1) 11.8(1) 12. 2(1) 
33 助右衛門 7.22 48.13( 9) 43.21(7) 92. 4(⑹ 32. 9(1)  
34 助左衛門 4. 4( 2) 4. 4( 2) 
35 助五郎 37.17( 8) 37.17( 8) 24.28(2)  
36 助 七 0.27(1) 0.27(1) 
37 助七郎 15. 0( 2) 15. 0( 2) 6.29(1)  
38 助八郎 6.20(1) 20.10( 5) 27. 0( 6) 
39 助兵衛 4. 6(居)  80.27(13) 25. 2( 2) 105.29(15) 32.15(2)  
40 図 書 3.27(居)  62.28( 9) 3.1(1) 65.29(10) 21.14(1)  
41 淸二郎 1.26(居) 42.13( 9) 42.13( 9) 
42 善右衛門 6.12(1) 6.12(1) 
43 善左衛門 67.22(11) 67.22(11) 30.21 (2) 
44 善 正 32.23( 6) 32.23( 6) 
45 惣右衛門 60. 4( 6) 60. 4( 6) 
46 惣左衛門 4. 0 51.18( 5) 15.11(3) 66.29( 8) 
47 惣九郎 3. 0(居)  62.27( 9) 62.27( 9) 8.20(1)  
48 宗八郎 17.1(2) 17.1(2) 
49 双徳寺 128.13(17) 23. 9( 2) 151.22(19) 128.13 (7) 17.15(1)  
50 大 蔵 3.18(居)  33.27( 2) 0.12(1) 34. 9( 3) 42. 2 (1) 
51 帯 刀 24.29( 3) 5. 5( 2) 30. 4( 5) 
52 長右衛門 1.18 16.15( 2) 16.15( 2) 15.27(1)  
53 長七郎 13.25( 2) 13.25( 2) 
54 次右衛門 2.29(居)  69.16( 8) 69.16( 8) 
55 藤左衛門 113.19(16) 19.22( 7) 133.11(23) 
56 仁右衛門 3.24( 2) 3.24( 2) 
57 仁兵衛 14.13( 2) 15.10( 3) 29.23( 5) 28. 4(1)  
58 ぬいの助 6.10(1) 6.10(1) 
59 隼 人 4. 4(1) 4.16( 2) 8.20( 3) 
60 般 若 9.18(1) 9.18(1) 
61 彦右衛門 135.26(21) 31.23( 3) 167.19(24) 32. 6 (3) 40.21(1)  
62 彦左衛門 6. 4( 3) 6. 4( 3) 40. 7(2)  
63 彦 三 6.11(2) 6.11(2) 
64 兵 庫 18. 6(1) 18. 6(1) 
65 平右衛門 6.20(居)  14. 9( 2) 10. 8(1) 24.17( 3) 31.27(1)  
66 平左衛門 1.26(居)  70.26(12) 14.21(2) 85.17(14) 
67 兵左衛門 10.0 27. 3( 3) 27. 3( 3) 
68 茂右衛門 2.20(居)  57.15(12) 22.12( 3) 79.27(⑸ 
69 茂左衛門 6. 0 162.22(21) 45.26( 4) 208.18(25) 
70 茂 作 4.10( 2) 4.10( 2) 
71 森 田 23.14( 3) 23.14( 3) 
72 弥右衛門 16.28( 3) 16.28( 3) 
73 弥左衛門 4. 5 27. 7( 4) 7.29( 2) 35. 6( 6) 9. 0(1)  
74 弥次右衛門 8.1(1) 14.20(1) 22.21(2) 
75 弥四郎 8.1(1) 8.1(1) 
76 弥六郎 8. 5(居)  67.26(10) 6.22( 2) 74.18(12) 24.28(2)  42. 6(1)  
77 与右衛門 3.14(居)
6.11 
73.18(11) 73.18(11) 15.17(1)  
78 与左衛門 24. 4( 5) 2.21(2) 26.25( 7) 1.15(1)  
79 与三左衛門 3.26(1) 3.26(1) 
80 与惣右衛門 30.29( 3) 30.29( 3) 15.12(1)  
81 与惣左衛門 52.23( 8) 52.23( 8) 
82 理右衛門 8. 4(居) 
2.6(抱) 
545.20(46) 46.18( 2) 592. 8(48) 436. 8(14)  30.10(1)  
83 六右衛門 40.11(5) 9.10(1) 49.21(6) 
84 角右衛門 7. 0 
85 喜兵衛 9.10 
86 金 七 8. 5 
87 小左衛門 3.22 (抱) 
88 五兵衛 6.12 
89 助十郎 1.18(居)  
90 伝左衛門 7. 0 (居) 
91 弥兵衛 8. 5 
92 市兵衛 5.12(1)  
93 久左衛門 24.21(1)  
94 小七郎 6.20(1)  
95 惣 十 5.18(1)  
96 惣十郎 2. 6(1)  
97 玉 蔵 12. 9(1)  
98 長四郎 28.27(1)  
99 半四郎 14. 3(1)  
合 計207.11 3766. 6(501)  766.18(130)  4532.24(631) 854.11(36)  854.11(9)  

注 分付関係は、すべて畑。また(A)は分付百姓数、(B)は分付主数で実数
(『市史近世』№68~72より作成)


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