北本市史 通史編 近世

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第1章 江戸幕府の成立と北本市域

第1節 徳川家康の関東入国と支配体制

2 埼玉県域の家臣

図1 県内諸城の存廃状況

(『県史図録』P127より作成)

家康は関東入国が決まるや時を移さず家臣団の知行割に着手している。関東の広大な新領国を掌握し、対秀吉への備えを固めること、三河以来の先祖代々が領知していた郷村を引き払う家臣将士と家族、これに従う従士や僕婢(ぼくひ)を含めると多数の関係者の落ち着く場所を定めるためにも、北条氏の諸城館に部将を配置し、知行分けを早急に行う必要があった。家康は江戸入城後まもない八月五日に、榊原康政を総奉行として青山忠成・伊奈忠次・大久保長安などの経験豊かな家臣を中心にして、新領地の家臣団の配置と知行割を行った。「天正・慶長 諸大名御旗本分限帳」により、埼玉県域を抄出すると次の通りである。
武蔵岩 槻高力河内守清長二〇、〇〇〇石同 忍松平主殿助家忠一〇、〇〇〇石
同 騎 西松平周防守康重二〇、〇〇〇石同 川 越酒井河内守重忠一〇、〇〇〇石
同 奈良梨・羽生・蛭川諏訪安芸守頼忠一二、○○○石同 羽 生大久保治部大輔忠隣一〇、〇〇〇石
同 東 方松平丹波守康長一○、○○○石同 栢 間内藤四郎左衛門正成五、〇〇〇石
同 八幡山松平玄番頭家清一○、○○○石同 鯨 井戸田左門一西五、〇〇〇石
同 松 山松平内膳正家広一○、○○○石同 三ヶ尻三宅惣右衛門康貞五、〇〇〇石
同 深 谷松平源七郎康直一○、○○○石同 内 野三宅弥次兵衛正次五、〇〇〇石
同 本 庄小笠原掃部頭信嶺一○、○○○石同 菖 蒲柴田七九郎康忠五、〇〇〇石
同 川越の内酒井右兵衛太夫忠世五、○○○石同 川 越酒井与七郎忠利三、〇〇〇石
同 原 市阿部善右衛門正勝五、○○○石同 礼 羽 設楽甚三郎貞光三、〇〇〇石
同 石 戸牧野半右衛門康成五、○○○石同 比 企 郡渡辺半蔵守網三、〇〇〇石
同 桶 川西尾小左衛門吉次五、○○○石


武蔵岩 槻高力河内守清長二〇、〇〇〇石
同 騎 西松平周防守康重二〇、〇〇〇石
同 奈良梨・羽生・蛭川諏訪安芸守頼忠一二、○○○石
同 東 方松平丹波守康長一○、○○○石
同 八幡山松平玄番頭家清一○、○○○石
同 松 山松平内膳正家広一○、○○○石
同 深 谷松平源七郎康直一○、○○○石
同 本 庄小笠原掃部頭信嶺一○、○○○石
同 川越の内酒井右兵衛太夫忠世五、○○○石
同 原 市阿部善右衛門正勝五、○○○石
同 石 戸牧野半右衛門康成五、○○○石
同 桶 川西尾小左衛門吉次五、○○○石
同 忍松平主殿助家忠一〇、〇〇〇石
同 川 越酒井河内守重忠一〇、〇〇〇石
同 羽 生大久保治部大輔忠隣一〇、〇〇〇石
同 栢 間内藤四郎左衛門正成五、〇〇〇石
同 鯨 井戸田左門一西五、〇〇〇石
同 三ヶ尻三宅惣右衛門康貞五、〇〇〇石
同 内 野三宅弥次兵衛正次五、〇〇〇石
同 菖 蒲柴田七九郎康忠五、〇〇〇石
同 川 越酒井与七郎忠利三、〇〇〇石
同 礼 羽 設楽甚三郎貞光三、〇〇〇石
同 比 企 郡渡辺半蔵守網三、〇〇〇石

図2 徳川家康入封時の関東勢力図

(『県史図録』P126より引用)

一万石以上の家臣団配置はおおむね小田原北条氏支配時代に、支城もしくは陣屋・館などの置かれていた地域である。さらに知行割配置を江戸を中心にして見るならば、江戸を中核として一円的・統一的に家臣団を配置するようにした。中小家臣団については、江戸近傍は徳川氏の蔵入地(直轄地、天領)とし、中・小の知行取(旗本)をその外郭の江戸から一夜泊りの範囲に置き、その外縁部には大知行取である上級家臣を配したという(北島正元『江戸幕府の権カ構造』)。
足立郡についてみると、次節で詳しく述べるが牧野半右衛門康成(やすしげ)に石戸領五〇〇〇石が与えられている。原市・桶川を中心にして上尾領と大谷領の一部五〇〇〇石の地が西尾小左衛門吉次に与えられている。南の指扇領(大宮市)五〇〇〇石は三宅弥次兵衛正次に与えられ、南部領中丸村(大宮市)を中心に岩付太田氏の旧臣春日景定が一〇〇〇石余の地を、同初鹿野(はじかの)昌久は土呂村(大宮市)を中心に七〇〇石の地を与えられた。現在は菖蒲町になっている栢間(かやま)には内藤四郎左衛門正成が五〇〇〇石の地を与えられていた。これらはいずれも中級の家臣で江戸からの一夜泊りに相当する位置にある。なお鴻巣領(市域の東半分、旧中丸村分は鴻巣領に入る)と小室郷(伊奈町)は伊奈忠次の知行地一万三〇〇〇石(一万石とも)であった。忠次は小室に陣屋を設け、関東直轄領支配の拠点とした。『古代・中世資料編』№一八三に述べてあるように市域の鴻巣領の地には、岩付城主太田氏の家臣で在地土豪であった宮内の大島大炊助(おおしまおおいのすけ)や深井の深井対馬守景吉らがたが、岩付落城後は村役人や開発領主となって、新しく伊奈氏の支配下に組み入れられた。

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