北本市史 通史編 近世

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第1章 江戸幕府の成立と北本市域

第4節 検地の実施

3 慶長~寛永期の検地

階層別土地所有状況
次に、荒井村の名請人九一人について、その土地所有状況を階層別にみると表8の通りである。これによると、一町歩以上の土地所有者(田畑・屋敷)が一〇人(一一・〇パーセント)、五反歩以上~一町歩未満が一八人(一九・八パーセント)、一反歩以上~五反歩未満が二九人(三一 ・九パーセント)、一反歩未満が三四人(三七・三パーセント)となっており、五反歩未満の者の合計が六三人(六九・二パーセント)と異常なまでに多いことがわかる。この傾向は、下石戸村においても同様で、六四・八パーセントになる。そこで五反歩未満の六三人についてさらに調べてみると、①このうち屋敷持が一九人(三〇・二パーセント)いるが、これは全戸数(三九)の半数にあたり、さらにその中に全く田畑を持たず屋敷地のみを名請している者が八人もいる。②小規模経営にもかかわらず、被分付地をもつ者はわずか一六人(二五・四パーセント)であり、これだけでは経営が成り立たない。③このうち三九人(六一 ・九パーセント)は下石戸村の検地帳に同じ名前が見え、さらに一五人は同村に屋敷地を持っている(表9)。これらが必ずしも同一人物とは断言できないが、以上のようなことから考えると、かなりの出入作を想像せざるをえないのである。また、このことは慶長十七年(一六一二)の検地帳との比較からもいうことができる。「慶長十七年御縄入」と記されたこの資料は、表書の部分が欠けていて地名、種類等不明であるが、一種の「指出帳」のようなものと解される。その記載例には元和六年(一六二〇)荒井村検地帳と同名の者一〇数戸がみられ、それをまとめたのが表10である。これを見ると、例えば、喜兵衛(№93)は分村前の慶長十七年には一三町三反四畝一〇歩の土地を所有しているが、元和六年では屋敷九畝一〇歩のみである。このことは、喜兵衛がこの八年の間に没落し、屋敷以外の全ての土地を手離してしまったと考えるよりも、荒井村以外の村々(当時は分村前である)において田畑を所有していると考えた方が自然である。また、格差の大きい次郎右衛門、兵庫、源三郎などについても同様であり、慶長十七年以後の田畑の変化を考えても、相当程度の出入作が想像されるのである。
また、表7 ・ 8で屋敷地のみを登録されている八人についてみると、伝左衛門を除き五人は鉄砲宿、二人は北袋(内一人は「抱」)であることが確認できるが、彼らが有力農民の隠居分家なのか、他村の農民なのか、二・三男や有力農民に抱えられていた下人等であるのか、検地帳からだけでは判断できない。
表8 農民階層表(元和6年)

(単位:畝歩)

村名荒 井 村 下 石 戸 村 
 区分
所有高
名請人数 面 植 名請人数 面 植 
田畑 屋敷 田畑合計
(畝歩)  
割合
(%)  
田畑 屋敷 田畑合計
(畝歩)  
割合
(%)  
10町歩以上 1008. 3 9.0 
9 〃 940.11 8.4 
8 〃 
7 〃 
6 〃 699. 9 6.2 
5 〃 1 (2) 592. 8 13.1 543.13 4.8 
4 〃 408.14 3.6 
3 〃 4 (7)1301.12 11.6 
2 〃 3(4)  794.11 17.5 4 (7) 1277.16 11.3 
1 〃 834. 2 18.4 15 12(17)  2281.11 20.3 
9反歩以上 278. 5 6.1 
8 〃 260.20 5.8 3(4)  34〇. 4 3.0 
7 〃 3(5)  304.16 6.7 300.17 2.7 
6 〃 5 (6) 462.13 10.2 5(6) 384.12 3.4 
5 〃 52.23 1.2 393.18 3.5 
4 〃 173.25 3.8 404.16 3.6 
3 〃 4 (5) 313. 3 6.9 11 5(6)  372.15 3.3 
2 〃 181.13 4.0 10 226.24 2.0 
1 〃 143. 9 3.2 13 211.5 1.9 
1反歩未満 26 141.26 3.1 47 2 (3)153.11 1.4 
小 計 83 31 4532.24 100.0 140 59 11247.1 100.0 
田畑なし 
36 
小 計 16 38 
合 計 99 39(45)  4532.24 100.0 178 61 (76) 11247.1 100.0 

注 ( )内の数字は筆数を表し、寺院も含む(『市史近世』№68~73より作成)


表9 荒川村・下石戸村両村にみえる名請人の屋敷地所有状況
No名請人 荒井村 下石戸村久保新田備考 No名請人 荒井村 下石戸村久保新田備 考 
雅楽助 〇 善右衛門 〇 
織 部 ② 43 善左衛門 
③ 市右衛門 45 惣右衛門 〇 
④ 喜右衛門 ② 46 惣左衛門 〇 〇 
⑥ 九左衛門 47 惣九郎 〇 〇 
⑦ 九郎右衛門 49 双徳寺 
源右衛門 52長右衛門 〇 
⑩ 源左衛門 〇 〇 53長七郎 
⑪ 源三郎 〇 〇 55 藤左衛門 
12 源十郎 ② 〇 58ぬいの助 
⑬ 玄 番 ② 59隼 人 
14 五郎左衛門 〇 60般 若 
16 三郎左衛門 61 彦右衛門 
17 新右衛門 62彦左衛門 
18 新左衛門 〇 〇 64兵 庫 
⑳ 新兵衛 〇 65平右衛門 〇 〇 
㉑ 次郎右衛門 67 兵左衛門 〇 
㉒ 十右衛門 69 茂左衛門 〇 
㉓ 主 作 72弥右衛門 
27 庄左衛門 〇 〇 73弥左衛門 〇 〇 
28 庄三郎 74弥次右衛門 〇 
㉙ 四郎左衛門 〇 75弥四郎 〇 
㉚ 甚右衛門 76 弥六郎 〇 
㉛ 甚左衛門 〇 77 与右衛門 ② 〇 
33 助右衛門 〇 78与左衛門 
助左衛門 〇 〇 80与惣右衛門 
助五郎 83六右衛門 
助 七 〇 85喜兵衛 〇 
助七郎 87小左衛門 〇 
助八郎 91弥兵衛 〇 
39 助兵衛 〇 93 久左衛門 
40 図 書 〇 

注1 №は、荒井村の整理番号

 2 ○は屋敷所有者(一筆)で、○内の数字は筆数

 3 ●は寛永8年(1631)本宿村屋敷地検帳

 4 〇付き数字は荒井村持高5反未満の名請人

(『市史近世』№68~73より作成)


表10 御縄入慶長17年                  (単位:畝)
No名請人 屋敷 慶長17年 元和 6 年 
雅 楽 助 有 279.07 298.53 
源右衛 門  無 130.0 87.60 
11 源 三 郎 無 1690.67 0.17 
14 五郎左衛門 有 712.0 92.17 
18 新左衛門  有 180.0 104.63 
21 次郎右衛門 無 2056.83 6.53 
27 庄左衛門 有 63.47 94.10 
45 弥左衛門 有 58.67 47.07 
51 帯  刀 無 104.0 30.13 
54 次右衛門 有 81.33 71.37 
55 藤左衛門  無 121.33 133.23 
64 兵    庫 無 1702.67 18.20 
93 喜 平 衛 有 1334.33 9.33 

(『近世前期関東農村の一例』より作成)


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