北本市史 通史編 近世

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第1章 江戸幕府の成立と北本市域

第2節 市域の知行割り

1 牧野氏と石戸領

牧野本陣跡
石戸領二一か村の本郷は石戸宿村であったが、牧野氏の陣屋は川田谷村に置かれ『新記』には「御入国以来牧野讚岐守康成(さぬきのかみやすしげ)、及ビ其子内匠頭信成(たくみのかみのぶしげ)、孫佐渡守親成(ちかしげ)等住セシ陣屋ナリシガ、慶安三年親成ガ弟太郎左衛門永成(ながしげ)二分地セシヨリ、今モ其子孫大和守ノ陣屋トナセリ、構ノ内二鎮守トシテ太神宮八幡ノ合社、稲荷弁天ノ合社アリ」と記されている。『桶川市史』は牧野本陣について「康成の入封当時は、まだ後北条氏の残存土豪(どごう)層の勢力の強い時代であり、先に記したように臨戦体制の中での陣屋構築であったとみられる。近接の原市の西尾氏、栢間(かやま)村の内藤氏と同様に、埼玉県域でも数多くの陣屋在住がみられるが、牧野氏の場合も知行地に在住して支配を行ったとみられる。陣屋がいつごろまであったか不明であるが、すでに寛永期(一六二四~四四)から江戸での旗本の屋敷割りが進んでおり、ほぼ元禄期(一六八八~一七〇四)には知行地の引払いが終わっている。慶安三年(一六五〇)に永成が父信成の遺領を継いだ時は陣屋は残されているので、その後廃されたものと思われる」と述べている(『桶川市史通史編』P二五五)。

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