北本市史 通史編 近世

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第2章 村落と農民

第1節 村落の推移

1 村の概況

常光別所村
江戸期は別所村。はじめ幕府領であったが、元禄四年(一六九一)一部が旗本横田氏、同六年残りが旗本阿部氏の知行地(ちぎょうち)となった。検地は寛永六年(一六二九)に行われた。村高は『武蔵田園簿』で一四七石余、うち田七五石余(五ー・四パーセント)・畑七一石余(四八・六パーセント)、『元禄郷帳』では一五一石余で、以後は変わらなかった。高札場は村の中央に二か所あった。鎮守は白山妙理社、寺院では新義真言宗大雲山無量寿院(下深井村寿命院末)・同法乗坊(滝馬室村常勝寺末)があった。化政期の家数は三〇軒余であった。明治四年(ー八七ー)常光別所村と改称。主な物産に鶏卵・米・大麦・小麦・大豆・小豆・粟・稗・蕎麦・大根・人参・甘藷・里芋・胡麻・綿子・白木綿・縞木綿(しまもめん)・菜種・荏油(えのあぶら)・胡麻油・茶・生糸・油滓(あぶらかす)などがあった。

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