北本市史 通史編 近世
第2章 村落と農民
第2節 秣場と論争
3 市域の開発
農民による原野の開発が、当初は旧土豪層を中心にして進められてきたことは大島隆三家文書の天正十八年(一五九〇)の浅野長吉証状(古代・中世No.二五六)からも窺うことができる。また「当村(荒井村)の儀は拙者ども先祖帯刀と申す者にて天正年中より百姓勤め仕り、当代(享保年中)まで相続き申し候」(矢部洋蔵家 二四三〇)という資料もある。時代が下るにしたがって小農経営の進展に基づいて、徐々に開発が進行したであろうことは容易に想像される。しかし、このことを立証する史料が市域には残されていないので、大胆ではあるが、北本市文化財調査報告書『北本市石造遺物所在目録I~Ⅲ』を通して近世前半の市域の開発の素描を試みておきたい。