北本市史 通史編 近世

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第2章 村落と農民

第3節 水利と土木

2 新堀の開削

写真10 糠田新堀遺構 鴻巣市

糠田村(鴻巣市)は上流からの悪水(排水)処理に苦心し、江戸時代初期には千間堀が掘られたが、その後も新しい排水路を計画した。享保十七年(一七三二)十二月、糠田村から出された新掘願いに対し、箕田村外七か村は、これに反対するため交互に江戸詰めをすることになり、その費用負担を定めている(近世No.一五ー)。当市域では高尾・荒井両村が参加している。新堀の計画は反対運動もあって認められなかった。寛政十年(一七九八)に糠田村では再び願書を提出したが失敗に終わった。ところが享和二年(一八〇二)、両馬室村が幕領になるに及び計画が許可され、それは滝馬室村の四軒新田より上沼新田まで一四五〇間に及んだ。新堀の開削にあたって糠田村・両馬室村で作成した条件は、新堀によって潰れる耕地の補償代はじめ、助郷役の代勤、堀の管理、架橋の負担、水塚、用心船などについてことごとく糠田村が負担すると決められている(近世No.一五二)。

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