北本市史 通史編 近世

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 近世

第2章 村落と農民

第4節 農民の負担

1 年貢の種類

小物成

写真11 年貢取立の図(『徳川幕府県治要略』より引用)

この本途物成のほかに小物成(こものなり)や髙掛物(たかがかりもの)などの税がある。小物成について、『地方凡例録上』P三〇六では「年貢のことを物成と云に依て、小年貢と云意にて小物成と云なり(中略)古来より郷帳に記し定納に成るものを総て小物成と云」とあり、さらに「郷帳へ記し定納に成る小物成ハ、知行渡りの節物成詰(ものなりづめ)とて米なれば、壱石を高弐石とし、永壱貫文を高五石替とす、上方筋にてハ銀なれバ六拾匁、鐚ハ四貫文を五石に当て高に結ぶ定法なり、又何役・何永・何分ー・何運上・冥加永などゝ云て、郷帳外書に載て年季を限り、或ハ年に寄り増減ある類、又臨時物にて郷帳に戰せざる品もあり、是を浮役と唱ふ、此類は知行渡しの高に八結ばず、云々」と述べている。つまり、秣場永をはじめ山林・原野・池沼などの用益やその産物を対象とした永続的な税を小物成といい、知行渡しの際には前述のような規準で高に換算され石高に含まれるものと、運上金や冥加金のように商工業やその他の営業および免許などを対象とし、高に含まれないもの(浮役という)とがあった。その名称は種々雑多であって、明治八年(ー八七五)二月太政官布告をもって雑税として廃止されたものは一五五三目に及んでいる(『近世農民生活史』P五〇)。資料中②の「小もの成」は、資料中には記載されていないが、年貢割付を見ると秣場六反七畝四歩に対し課せられた秣場永であることがわかる。また、資料中③の「口永」というのは本途物成(ほんとものなり)に対する付加税(徴税手数料)で、米納の場合は口米といった。一般に関東では三斗五升入一俵につき口米一升、関西は一石につき口米三升、口永は関東・関西ともに永一〇〇文につき三文と定められていたが一様ではなかった。この口米は天領では代官所の経費にあてられたが、それは代官をして年貢増徴に精励させようという幕府の意図からという。しかし、逆に農民誅求(ちゆうきゆう)の基となり、その弊害のためか幕府では享保十年(一七二五)に口米は公納として、代官所の経費は別に下付することに改めた。

<< 前のページに戻る