北本市史 通史編 近世
第2章 村落と農民
第4節 農民の負担
7 桶川宿・鴻巣宿の助郷
桶川宿の助郷中山道の助郷は前項のごとく早くから見られるが、市域から助郷として人馬を提供するようになったことが明らかになるのは元禄七年(一六九四)である。同年二月桶川宿に与えられた「中仙道桶川町助郷帳」(近世No.一八一)によれば、桶川宿の助郷は次の近隣諸村三七か村、その石高ー万一ニ五六石余が大助に指定され、そのうち市域にかかわる村は七か村である。
助郷高は村高のうちに賦課されるのが原則であるが、正式に村高に含まれない流作場やつかみ摑(つか)み高などがある場合は、別である。特に新田開発の多い江戸時代前期には、村高より多くなることもあった。市域にかかわる下中丸・上中丸・山中・本宿・石戸宿の五か村は、村高全体がほぼ助郷役の対象になっている。しかし、下石戸村は『元禄郷帳』では上・下に分村しているので合計七〇四石余の村高に対して、助郷高が六七一石であるから、三三石余が助郷を免除されていることになる。この免除分は新田の多い地域であるので土地の生産性が低く、その分に当るものか、流作場の分であろうと考えられる。次に荒井村であるが、助郷高が村髙より八四石余多くなっている。枝郷である北袋村分の村高を合わせても二八四石余にしかならず、残る一六石余は新田開発による摑(つか)み高分でもあろうか不明である。
この三七か村は、桶川宿問屋の触れによつて遅れることなく人馬を提供することが義務付けられる一方、問屋の必要以上の人馬の触れ宛や、助郷村の不参は処罰されることとなっている。幕府から与えられたこの助郷帳は桶川宿で保管し、助郷村へは写しが渡された。この助郷は大助であるから、大通行などにより宿駅人馬での不足分を補う目的であった。
表30 桶川宿助郷
村名 | 村高 (元禄郷帳) | 元禄7年 助郷高 | 享保9年 助郷高 |
---|---|---|---|
上 | 559 | 547 | 547 |
久 保 | 156 | 176 | 176 |
南 | 198 | 238 | 238 |
羽 貫 | 389 | 264 | 377 |
内 宿 | 587 | 520 | 572 |
井 戸 木 | 216 | 118 | 216 |
小針領家 | 464 | 385 | 468 |
小針新宿 | 533 | 556 | 534 |
門 前 | 213 | 203 | 203 |
上 平 塚 | 73 | 73 | 73 |
須 ケ 谷 | 278 | 330 | 67 |
倉 田 | 181 | 157 | 157 |
中 平 塚 | 155 | 195 | 155 |
大 針 | 332 | 500 | 332 |
高 虫 | 321 | ||
坂 田 | 220 | 220 | |
(舎人新田共) | 122 | 220 | 122 |
下 加 納 | 285 | 215 | 285 |
上 加 納 | 367 | 365 | 365 |
下 中 丸 | 232 | 231 | 232 |
上 中 丸 | 250 | 249 | 250 |
山 中 | 52 | 52 | 52 |
本 宿 | 58 | 58 | 58 |
大谷町谷 | 148 | 188 | 148 |
小 泉 | 196 | 190 | — |
小 敷 谷 | 234 | 144 | — |
畔 吉 | 230 | 229 | |
領 家 | 188 | 180 | 180 |
中 分 | 143 | 140 | 140 |
藤 浪 | 134 | 130 | 130 |
166 | |||
日 出 谷 | 122 | 281 | 281 |
下川田谷 | 934 | 934 | |
上川田谷 | 1241 }樋詰 102 | 394 | 394 |
307 | |||
下 石 戸 | 397 | 671 | 671 |
石 戸 | 175 | 169 | 169 |
216 | |||
新 井 | 北袋 68 | 300 | - |
栢 間 (小) | 1,047 | 974 | 974 |
尾 林 | 1,338 | 360 | - |
井 沼 | 321 | 290 | 147 |
原 市 624 | |||
篠 津 61 | |||
五丁台 84 | |||
上平野 143 | |||
春日谷津 55 | |||
菅 谷 278 | |||
計 | 12,693 | 37か村 | 40か村 |
11,256 | 11,433 |
(『元禄郷帳』『市史近世』№181・182より作成)