北本市史 通史編 近世
第2章 村落と農民
第4節 農民の負担
7 桶川宿・鴻巣宿の助郷
その他の助郷表31 桶川宿加助郷(宝暦9年)
村 名 | 勤高(石) |
---|---|
下 矜 | 364 |
上 猪 | 364 |
角 泉 | 338 |
釘 無 | 72 |
三 保 谷 | 329 |
平 沼 | 564 |
表 | 199 |
大 塚 | 132 |
下ハツ林 | 497 |
伊 草 宿 | 424 |
牛ケ谷戸 | 279 |
下 井 草 | 255 |
上 井 草 | 732 |
畑 中 | 283 |
安 塚 | 41 |
飯 島 | 205 |
吉 原 | 127 |
上 新 堀 | 117 |
宮 前 | 218 |
山ケ谷戸 | 256 |
紫 竹 | 120 |
白 井 沼 | 410 |
下 新 堀 | 64 |
出 丸 本 | 114 |
24か村 | 6,604 |
(『桶川市史4資料編』№192より作成)
宝暦九年の桶川宿の定助郷は四四か村・一万一三六二石であるが(『桶川市史四近世資料編』No.ー九二)、この定助郷の規模は、村数では若干増加しているものの、助郷高では以前とほぼ同じである。しかしながら大助とは大通行時に人馬を提供する助郷を指すものであり、元禄および享保の名称も大助となって入るから、ここでは一般的な解釈をしておくが、さらに検討する必要があろう。定助郷は助郷の中でも最も宿駅との関係が密接であり、従ってその距離も一里以内が多く、最長でも二里二四丁以内と近距離であった。
代助郷は特定の助郷村が何らかの理由で助郷を免除されたとき、その代わりとして一定期間助郷を勤めるものであり、延享三年(一七四六)からその事例がみられる。
加助郷は特定の大通行のときにかぎり、定助郷の負担を軽減する目的で追加された助郷である。宝暦九年(一七五九)の助郷証文(『桶川市史四近世資料編』No.一九二)では、二四か村六六〇四石が加助郷としてみられ、いずれも比企郡内の村で桶川宿からは、一里三〇丁から三里の距離である。
増助郷は、従来の助郷だけでは負担が過重になった場合、その軽減を目的に定助郷へ追加された助郷である。桶川宿での増助郷は、明和元年(一七六四)から翌年にかけて起こった伝馬騒動で確認される。それによれば、三八か村が計画されその中に北袋村がある(近世No.ー九一)。しかし、この増助郷は中山道の上野・武蔵などの村々の反対により実現しなかった。