北本市史 通史編 近世
第2章 村落と農民
第4節 農民の負担
7 桶川宿・鴻巣宿の助郷
鴻巣宿の助郷鴻巣宿に助郷が設定されたのは、近隣宿駅と同時期ころと推定されるが、明らかにする史料は見つかっていない。しかし、鴻巣御殿を始めとする鴻巣周辺の鷹狩りなどが描かれている「江戸図屏風」などからも明らかなように、往来する役人などによる人馬の徴発も、意外と早くから見られたのかもしれない。
元禄七年(一六九四)には桶川宿など中山道の諸宿に大助郷が設定されるが、鴻巣宿では「元禄七年戌年大助郷ニ被為仰付」(鴻巣市伊藤正夫家文書)とあり、また「元禄六年、鴻巣町助郷壱万四千石にて大助相勤候筈被仰付候」(『鴻巣市史資料編三』)ともある。この二つの資料から前年にはすでに大助郷の設定が明らかにされ、その高ー万四〇〇〇石余であることも知らされていたのであろう。このときの助郷村については未詳であるが、鴻巣宿近隣の諸村であっただろうことは、後の助郷村からも予測できよう。
嘉永四年(一八五ー)正月「中仙道鴻巣宿助郷帳」(近世No.一八八)には、鴻巣宿の助郷三五か村、その高ー万四二〇七石として表32のとおりである。
文末には「右之通り鴻巣宿江助郷申付候間、相触次第人馬無滞村々より可出之、勿論此帳は鴻巣宿江差置村々ニては写致置、自今以後急度可相守若シ貴(費)の人馬触仕候助郷より於不参は曲事可申付者也」とあり、差出人は、辻六郎左衛門・杉弥太郎・萩源左衛門・筧播磨守・彦壱岐守の五名で、宛先は「鴻巣宿問屋・年寄、右助郷村々名主・百姓」となっている。この助郷証文の出された時期であるが、差出人の彦壱岐守は彦坂治敬と推定され、享保六年(一七ニー)二月から同九年二月まで大目付より兼帯として道中奉行を勤め、同様に筧播磨守は筧正鋪と考えられるので、享保六年三月より同九年九月まで勘定奉行より加役として道中奉行を勤めている。また、辻六郎左衛門(守参)・杉弥太郎(杉岡能連)・萩源左衛門(美雅)は勘定吟味役であろうから、同六年二月から同九年二月までの任期である。従って差出人から、享保六年三月から同九年二月の間に作成されたと推定される。
この定助郷には東間・宮内・上深井・下深井・花ノ木・別所・古市場・高尾・荒井の九か村が市域から指定されている。荒井村は、さきの桶川宿の元禄七年の助郷帳にあったが、享保九年の大助郷帳にはその名がなく、鴻巣宿の助郷になっているから、元禄七年以降に助郷の一部編成替えがあったのであろう。
桶川・鴻巣両宿の助郷証文は「中山道・日光道中宿々定助郷ハ、元禄年中より享保年中迄に追々助郷帳相渡ス」(『近世交通史料集十』委細書附録単)というように、それまで定助郷帳がなかったので、改めて渡されたのであろう。
その後時代は下るが、文政初年ごろの助郷をしめすと表32のとおりである(鴻巣市伊藤正夫家文書)。
表32 鴻巣宿助郷
文政初年ごろの定助郷 | 享保7年大助郷 | ||
---|---|---|---|
助郷村 | 助郷高 | 文政末年ごろ | 助郷高 |
大 間 村 | 549 | 半高休役 | 549.0 |
登 戸 〃 | 207.0 | 〃 | 207.0 |
中 野 〃 | 111.0 | 〃 | 111.0 |
糠 田 〃 | 227.5 | 909.0 | |
八幡田 〃 | 156.3 | 半高休役 | (2539.0) |
寺 谷 〃 | 223.5 | 447.0 | |
市 ノ 縄 〃 | 124.5 | 半高休役 | 249.0 |
箕 田 〃 | 2070.0 | 20カ年半高休役 | 2539.0 |
宮 前 〃 | 208.0 | 15カ年〃 | 208.0 |
小 谷 〃 | 223.5 | ||
中 井 〃 | 92.0 | 92.0 | |
三ツ木 〃 | 120.0 | 120.0 | |
川 面 〃 | 215.0 | 215.0 | |
袋 〃 | 166.3 | ||
前 砂 〃 | 115.5 | ||
用 明 〃 | 172.7 | ||
鎌 塚 〃 | 109.0 | ||
前谷 〃 | 99.0 | ||
新 宿 〃 | 118.0 | ||
模 戸 〃 | 67.0 | ||
安養寺 〃 | 520.0 | 520.0 | |
屈 巣 〃 | 989.0 | 989.0 | |
野 村 〃 | 951.0 | 内296石下分 | 951.0 |
埼 玉 〃 | 234.5 | ||
広 田 〃 | 124.5 | ||
赤 城 〃 | 27.0 | ||
北 根 〃 | 88.0 | ||
関新田 〃 | 56.0 | ||
外田ケ谷 〃 | 80.0 | ||
内田ケ谷 〃 | 107.0 | ||
小 針 〃 | 115.0 | ||
下須戸 〃 | 314.0 | ||
藤 間 〃 | 21.0 | ||
真名板 〃 | 104.0 | ||
境 〃 | 124.0 | ||
上会下 〃 | 145 | ||
中ノ目 〃 | 78 | ||
下 崎 〃 | 78.2 | ||
中種足 〃 | 113.5 | ||
戸 室 〃 | 116 | ||
鴻 茎 〃 | 186 | ||
芋 茎 〃 | 119 | ||
郷 地 〃 | 973 | 973 | |
笠 原 〃 | 1064 | 1291.0 二貫野共 | |
生出塚 〃 | 397 | 397 | |
深 井 〃 | 339 | 内165石下分 | 339.0 上174.0 下165.0 |
上谷村 〃 | 593 | 593 | |
中曽根 〃 | 133 | 133 | |
荒 井 〃 | 165 | 165 | |
常 光 〃 | 139 | 内70石下分 | 139.0 上69.0 下70.0 |
宮 内 〃 | 403 | 403 | |
古市場 〃 | 152 | 152 | |
東 間 〃 | 87 | 87 | |
別 所 〃 | 152 | 89 | |
花ノ木 〃 | 39 | 39 | |
滝馬室 〃 | 267 | 267 | |
原馬室 〃 (小松原共) | 408 | 408 | |
高 尾 〃 | 251 | 251 | |
下 谷 〃 | 381 | 南下谷 148.0 10カ年休役 | 381 |
北〃 142.0 | 142 | ||
中〃 91.0 10カ年休役 | 91 | ||
計 | 16,017 | 内休役2,212余 | 14,207 (14,213) |
(伊藤正夫家文書 「市史近世』№188より作成)