北本市史 通史編 近世

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第2章 村落と農民

第5節 村のしくみと農民生活

3 村落の規制

江戸時代の農民の生活は、「慶安の御触書」や「五人組帳前書」といった幕府の手による法律によって大枠の規制がなされていたが、これとは別に村人みずからが、村の生活を成り立たせるための規則を自主的に作っている。この規則は村定・村極・村掟・申合・村議定(むらぎじょう)等と呼ばれ、総称して村法と呼ばれている。その内容を見ると、初期のころは山林荒し、畑荒しなど村人の生活基盤に関わる事柄が多いのに対し、幕府の法制が整備されてくると、幕府の法律を守ることが優先され、それに続いて村寄り合い、村役人、農作業の手順、入会地の利用、村の秩序の維持、風俗の取締りなど非常に広範囲な内容となっている。
次の史料は安政五年(ー八五八)の「元宿村惣百姓議定書の写」(近世No.四五)のなかに見えるものである。成立年代は不詳であるが、内容的には比較的早い時期のものと思われる。
惣百姓仲間議定の事
一 麦小麦をはじめ畑の作物を盗んだ者は罰金五両を払う事
一 水田の稲作を盗んだ者は同じく罰金五両を払う事
一 山に入って茅靑草を盗んだ者は罰金五貫文を払う事
一 山に入って落ち葉枯枝を盗んだ者は同じく五貫文を払う事
ー 立木男松を盗んだ者は同じく罰金五貫文を払う事
ー 惣百姓が自由に立ち入れる入会地であっても立木男松生枝を勝手に切った者は村役人が立ち会ってその代金を見積もって払わせるとともに罰金五貫文を払う事
ー 芝かきなど他の場所に、例え親類であっても勝手に行かせないで村役人に届け、村中で取り決めをしてから行かせる事

主な内容をみると、他人の田畑の作物や山野の草木を盗んだ者へ課する過料を定めたり、入会地(共有地)の利用についても細かに定めて置き、これに違反した者への過料を定めたりしている。
また、江戸時代の後半の文化九年(一八一二)に下石戸上村の農民九〇人が連印している「村方議定連印帳」(近世No.四四)では次のように定めている。
申合議定の事
ー 近年賭の諸勝負事をする者がいるようだが、以後は博奕(ばくえき)をした者はもちろん、わずかでも賭け事をした者は、親類縁者でも見逃さず、一人について過料銭二貫文ずつ、会場の宿を提供した者は五貫文ずつ、宿の両隣りは一軒について二貫文急度出すこと。決してお互いに見逃してはいけない。
また、野山などでやっているのを見かけたら早々に追い払うこと。もっとも以上の事柄についてお金がかかるときは連印した者全員でいくらなりとも差し出すこと。以上のように申し合わせ、この度書面としたので必ず守るようにすること。
  文化九年壬申三月

この議定書は、江戸時代後半で世情が乱れ、農村にあっても無宿者等が農民を巻き込んで博奕を盛んに行っていた。これについては幕府も対策に苦慮し、しばしば禁止の達しを発し、さらに文化二年(一八〇五)には関東取締出役を置いて取り締まっていた。
このように議定の内容は、博奕をはじめ賭け事をしないようにとの約束であり、違反した者には過料を課すことに定めた。やった者より場所を提供した者の方が過料は重かった。
以上、江戸時代の農民の生活は、幕府によって規制されたばかりでなく、村民自らも村落共同体の成立の基盤となるような規制をさまざまな形で定めている。

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