北本市史 通史編 近世

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第2章 村落と農民

第5節 村のしくみと農民生活

5 宗門改めと人別

村人の異動手統き
このように毎年宗門改めを行い、村の人口の異動を調査し、領主に報告しているが、特に村人の転出・転入については慎重に手続きが行われた。
例えば、ここに紹介する史料は、武州男衾郡勝呂村(小川町)の永次郎の娘やす当年一六歳が、北袋村の鍋次郎に嫁入りするに当たって、勝呂村名主金右衛門が北袋村名主平兵衛宛に発行した人別送り状の「送り一札の事」である。

送り一札の事

  • 村方永次郎娘やす当寅十六歳ニ相成候、同村与三郎仲人ニて其御村方鍋次郎殿妻ニ差遣し申候処相違無御座候、然上ハ此方宗旨人別帳面相徐キ申候間其御村宗門帳面ニ御加可被下候、此方宗旨ハ鉢形町浄土宗浄福寺 旦那二紛レ無御座候、寺送りの儀ハ何時ニても差遣し可申候、為念送り一札、仍て如件

大嶋左京知行所

  • 文政十三寅年
  • 武州男衾郡
  • 勝呂村
  • 名主 金右衛門㊞
  • 北袋村
  • 御名主 平兵衛様

(『市史近世』No.一五七)


この送り状には、当村の娘やすが北袋村に嫁入りするので、こちらの戸籍台帳である宗旨人別帳から除籍するから、そちらの宗旨人別帳に加えて欲しいこと、宗旨は勝呂村(小川町)の浄土宗浄福寺の信者に相逹ないこと、寺送り(寺請証文)は必要なときいつでも届けることなどが記載されている。
こうした手続きは、このほか婿入り、養子縁組等のときにも欠くことのできない手続きであった。
このように人別送り状は、現在の転出証明書であり、村人が他村の人となる場合、発行されたものである。これに対して、受け入れた村では転入を証明する「人別落着状」を相手先の名主に送ることになっている。
また、村人が家出して行方不明になった場合、これを「欠落」といい、五人組をはじめ、村をあげて捜索するが、それでも見つからないときは、戸籍台帳である宗門人別帳から除籍されてしまう。これを「帳外(ちょうはずし)」と言った。この場合、三〇日を一区切りとして搜索を行い、その間にみっからないときは、さらに延長し最終的に一八〇日を経ても見つからないときは帳外の対象になった。そうした人々は、いわゆる無宿者となってしまう者が多かった。
例えば、嘉永元年(一八四八)九月に、下石戸上村の徳次郎の伜辰五郎(二五歳)が家出し行方不明となったので、捜索を命じられた親・親類・五人組・組頭・名主などが連名で、現在の市域の村々をはじめ鴻巣市・桶川市にわたる三〇余りの宿村に人相書を送り、搜索を依頼している。これに対していずれも該当者なしとの回答であった。家出の理由にはいろいろあったであろう。例えば年貢上納に行き詰まり、田畑を質入れしたがそれが請け返せず、ついに田畑を失って生活できなくなってしまったり、何か事件を起こし、家族や親戚に類が及ぶのを恐れて、やむなく非合法な手段で村を捨て行方をくらます者もいたであろう。恐らく江戸に流れ込んだ者が多かったであろう。

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