北本市史 通史編 近世

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第2章 村落と農民

第1節 村落の推移

1 村の概況

北本宿村
江戸期は本宿村。『新記』には「本宿村は古へ宿駅なりしが、慶長年中今の鴻巣へ移せしよし、正保の絵図には本鴻巣村と記し、元禄の図には本宿村とあり、古街道の跡は東方に当り……」とあり、本宿とは「元の宿場」の意という。はじめ幕府領であったが、正保年間(一六四四~一六四八)から旗本宮崎氏、のち旗本牧野氏・三上氏の相給(あいきゅう)となった。検地は寛永八年(一六三一)と寛文八年(一六六八)に行われた。村高は『武蔵田園簿』で五五石余、皆畑である。『元禄郷帳』では五八石余で、以後はほとんど変わらなかった。高札場は村の中央にあった。鎮守は天神社、寺院は新義真言宗宝塔山多聞寺(滝馬室村常勝寺末)があった。明治四年(ー八七ー)北本宿村と改称した。主な物産に、大麦・小麦・蕎麦・甘藷などがあった。

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