北本市史 通史編 近世

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第3章 農村の変貌と支配の強化

第1節 豪農の成立

1 質地証文のいろいろ

荒井村の名主家には、現在までのところ延宝四年(一六七六)に書かれた「永代土地売り渡し手形」を初めとして弘化二年(ー八四五)の「質地証文」まで、一七〇年間にわたる質地証文のたぐいが一七四通程確認されており、よく保存されている。今後の調査でさらに増加することも予想されるが、ここでは現在までに確認された史料について考えてみたい。
いま、これらの証文を契約内容から分けてみると
(一)「売り渡し証文」初めから田畑を売り渡してしまう契約
(二)「流れ地証文」年季を定めて、その年季が明けたとき請け返せないときは、二か月の猶予の後、田畑は質流れとなって質取主に渡る契約
(三)「永々支配証文」一応年季は定められているが、年季明けの後流れ地とする文言がないのでいつでも請け戻せる契約(ただし、享保以後は年季明け後一〇年まで)。また年季を定めずいつでも請け戻せる契約(ただし、質入れ後一〇か年まで)
(四)「その他」(一)~(三)以外で替地などの契約の四つである。これらの証文一七四通を前記の分類にしたがって分けてみると(一)「売り渡し証文」三七通(二一パーセント)、(二)「流れ地証文」五一通(二九パーセント)、(三)「永々支配証文」六五通(三八パーセント)、(四)「その他」二一通(ーニパーセント)、となっている。

表34 証文の種類

(質地証文より作成)

つぎに、これらを二〇年間を区切りとして分布をグラフ化したものが表34である。このグラフをみると、契約からみた証文数の推移を知ることができる。
これをみると、当初は「売り渡し証文」だけである。しかも元禄末から享保初年まで(一七〇ー~一七二〇)の二〇年間に二七通を数える。
寛永二十年(一六四三)三月、江戸幕府は「田畑永代売買禁止令」を発して、農民が永代に田畑を売り払うことを禁じている。ただし、農民が数年間の約束で、あるいは買い戻しの約束付きで売ることは禁止していなかった(石井良助著『新編正戸時代漫筆下』。しかし、この禁止令に違反すると、売り主は牢屋に入れられたうえ追放され、買い主も牢屋に入れられ買った田畑はその土地の代官か地頭に取り上げられることになっていた。
ところで、「永代売り渡し証文」には、年季や買い戻す約束もなく、自分の田畑を相手に永久に売り渡してしまうように書かれているものがある。これは明らかに禁令に違反していることになるが、実態として行われていたことになる。その後、寛保二年(一七四二)に定められた「公事方御定書」にも載っているが、後になると幕府はこれを厳しく取り締まるというよりも、この禁令があることによって農民の田畑の永代売買を少しでも抑制しようとしたようだ。また、売り渡しとは書かれていないが、内容的には売り渡しと同様の効力を持つ「祝い金」という文言が書かれている証文もある。
次に宝永元年(一七〇四)になると、「流地手形」という証文が現れる。以後文政七年(ー八二四)に至るーニ〇年間にわたり五一通あるが、一七二〇~五〇年代に比較的集中している。
「流地手形」の中には相手方に流れ地として渡してしまう特に年季の定めはなく売り渡しと同様に考えられるものと、はっきりと年季を三年と定め、年季明けのとき請戻せないときは流れ地として質取主に渡すと明記されているものがある。後者が江戸時代を通じて一般的な質地証文といえる。
次に多く見られる証文は、「永々支配証文」とでもいえる証文である。享保五年(一七二〇)を最初として文政八年(ー八二五)まで長期にわたり六五通を数える。一七二〇年代から一七七〇年代に集中している。
この種の証文では年季を定めて質入れしており、年季が明けたときには借用した本金を返済することによって自分の畑を取り戻すことができることになっていた。しかし、返済ができなかったときはこの証文を証拠に永代に渡すことになっている。なお、この質地証文では年期明け後一〇年を過ぎると請け返すことはできないものとなる。さらに、他の同様の証文をみると、年季が明けても借用金が返済できない場合はこの証文をもって「永々御支配」くださいとか、「末々御支配」くださいといった文言が書かれている例が多い。
また、「永々支配証文」等のなかには特に年季を定めず、返済するお金ができたときに返金して畑を請け返せるというものもある。しかし、この場合は契約後一〇年を過ぎると請け返すことはできなくなる。
このように、田畑の移動について考察してみたが、「売り渡し証文」の内容をみると、最初から田畑の売買の証文であり、「祝い金」を受け取る場合も同様であった。「流れ地証文」については、江戸時代の最も典型的な質地証文であり、年季が明ければ請け返さない限り質取主の所有地となるのに対し、「永々支配証文」等では、一定の制限はあるものの年季が明けたり、返済金ができたときはいつでも請け返すことができた。

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