北本市史 通史編 近代

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第1章 近代化の進行と北本

第3節 小学校の設置と近代教育の発足

4 教育の内容と方法

教育令期の教科課程と教科書
明治十二年(一八七九)の第一次教育令は、その第三条に「小学校ハ普通ノ教育ヲ児童ニ授クル所ニシテ其学科ヲ読書・習字・算術・地理・歴史・修身等ノ初歩トス、土地ノ情況ニ随ヒテ罫画(けいが)・唱歌・体操等ヲ加へ、又物理・生理・博物等ノ大意ヲ加フ、殊ニ女子ノ為ニハ裁縫ノ科ヲ設クヘシ」と定めたが、それらの内容や程度については指示しなかった。また、教則については第二二条に「公立学校ノ教則ハ文部卿ノ認可ヲ得ヘシ」とのみ規定し、その編成を地方(町村)に委ねた。
埼玉県では、文部省の認可を経て同十二年十一月、埼玉県公立小学校教則を制定公布した。この教則は教科を小学教科(四年・六級)と小学高等教科(三年・五級)に分け、前者は読書・習字・作文・算術・地理・歴史・修身等の初歩、後者は小学教科の内容の程度を高め、さらに物理・生理・野画等を加える。そして教科別・級別にその具体的内容と授業時数を明らかにしているが、各教科目の内容は「学制」期と比べて大きな違いはなく、大同小異である。

写真25 埼玉県小学校教則

(県行政文書 明1852)

明治十三年の第二次教育令では、必修科目の種類は同じであるが、徳育重視の方針から修身科を第一位にランクし、しかも儒教道徳を復活して内容の刷新を図った。小学校の教則については、「文部卿頒布スル所ノ綱領ニ基キ、府知事県令土地ノ情況ヲ量リテ之ヲ編成シ、文部卿の認可ヲ経テ管内ニ施行スヘシ」と定められ、各府県の教則は文部省の小学校教則綱領(明治十五年五月)に準拠して教則を編成し、認可を経ることとなった。埼玉県では、同十四年十月に小学校教則を定め、秋期試験後より施行した。この小学校教則は、小学校を初等科(三年・六級)、中等科(三年・六級)、高等科二年(二年・四級)に分け、毎級の授業は一八週間とし、毎日の授業時間は五時間以内とした。基礎課程としての初等科の教科は、修身・読書・習字・算術・唱歌・体操の六教科であるが、教則に例示された第六級(入学最初の級)の授業時間割には唱歌や体操はなく、修身・読書・作文・算術の四教科であった。この小学校教則が公布された後に提出された小学校設置願には、教則はいずれも「本県教則ノ通」と記されているから、北本地域の小学校も明治十四年の県定小学教則に準拠していたとみてよい。
明治十四年(一八八一)の埼玉県小学校教則は、明治十八年三月に改定された。それによれば、初等・中等・高等の三科編成及びその修業年限は変わらないが、三科の教科編成が大幅に簡略化され、初等科・中等科は修身と読書(読方・作文)のみ、高等科はそれに地理(第一年のみ)を加えたにすぎない。三科各級の毎週授業時数をみると、初等科は男女共通で第六級が一四時間、第五級が一七時間、第四級~第一級は一五時間、中等科は全級通して男一二時間、女九時間、高等科は級によって時数が違い、男一四~一一時間、女一一~八時間となっている。一日の授業時数に換算すれば、二~三時間ということになる。それはまさに「午前若(もし)クハ午後ノ半日、又ハ夜間ニ授業スルコトヲ得ヘシ、其授業時間ハ二時ヨリ少カラサルモノトス」(第一二条但書き)とされた第三次教育令の小学校ないし小学教場に相当する性質のものであった。第三次教育令が公布されたのは明治十八年八月のことであるから、本県はその教育令の小学校構想を五か月前に先取り的に施行したごとくである。連合戸長役場制に基づいて再編された各学校は、いずれもその教則に準拠して開設された。
ところで、教育令期の小学校ではどのような教科書が使用されたのだろうか。明治十二年(一八七九)の埼玉県公立小学教則にも、同十四年の埼玉県小学校教則にも、同十八年の埼玉県小学校教則課程一覧表にも、いずれも教科書が指示されている(『埼玉県教育史第三巻』P六三二参照)。例えば同十四年の場合、修身では『小学修身書』『小学修身訓』『修身叢語』、読書では『小学読本』『刪定(さんてい)家道訓』『大統歌』、地理では『地理撮要(さつよう)』『埼玉県地誌略』、歴史では『校刻古今紀要』、理科では『物理小学』『小学化学書』『初学人身窮理』等である。これらの教科書は当時における代表的教科書であって、そのうち木戸麟の『小学修身書』、川島楳坪の『刪定家道訓』、福井光の『修身叢語』、及び田中義廉や那珂通高の『小学読本』等は明治十八年の教則課程にも採用され、広く県下の学校で使用されたものである。もちろん、北本地域の小学校でも使用された。そのことは『諸家資料目録』(市史編さん調査報告書第五集)を一読すれば明らかである。こうして我が国の近代教育は試行錯誤しながら、次第に画一化の方向をたどることとなる。

写真26 修身叢語字引

(鈴木治郎家 49)

写真27 埼玉県地誌略字引

(鈴木治郎家 73)

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