北本市史 通史編 近代

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第2章 地方体制の確立と地域社会

第2節 農事改良と農業の振興

1 農業団体の結成

中丸信用販売購買組合
中丸村では農村経済復興のため、産業組合を組織しようとする動きはあったが、種々の理由で成立しなかった。しかしその後、加藤隆次郎らの尽力により、明治四十四年(一九一一)三月三十日に産業組合の発起会を開催するところまでこぎつけた。児玉郡大沢村の産業組合の視察や、北足立郡書記の講演会開催などを通じて準備を進めた。産業組合成立に産業上の発展を期していたのである。
当時の中丸村は、同年七月十三日付の『埼玉新報』(近代No.一〇五)によると、田地少なく畑地が大部分で、麦作及び甘藷の栽培に力を入れ、副業として養蚕製茶並びに桑苗木の栽培をしていたので、肥料の購入・労役資本を形成することが急務であったという。かくして同年七月十二日に、加藤仙次郎ほか二〇五名より申請された有限会社中丸信用販売購買組合の設立が許可された。

写真56 出資證券

(関口重太郎家 29)

有限会社中丸信用販売購買組合設立許可及び登記事項届(近代No.一〇六)によると、その目的は第一に「組合員ニ産業ニ必要ナル資金ヲ貸付シ、及貯金ノ便宜ヲ得セシムルコト」、第二に「組合員ノ委託ヲ受ケ其生産物ニ加工シ、又ハ加工セズシテ販売スルコト」、第三に「産業又ハ生計ニ必要ナル物ヲ購買シテ之ニ加工シ、又ハ加工セズシテ組合員ニ売却スルコト」であるとし、信用・販売・購買の事業について説明を加えている。
この組織は有限責任で、「出資證券」(前頁写真56)が示すように、出資金は一口十円で、二円ずつ五回に分けて払い込まれていた。事務所は中丸村大字古市場一三二番地の二に置かれた。

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