北本市史 通史編 近代

全般 >> 北本市史 >> 通史編 >> 近代

第3章 第一次大戦後の新展開

第1節 地方自治制の再編成

3 第一次大戦後の村財政

町村財政制度の整備
明治三十七、八年の日露戦争は、明治政府が国運をかけた一大戦争であり、しかも初めての総力戦であったから、それは一〇年前の日清戦争とは比較にならないほどの大きな影響を各方面におよぼした。とくに、それが財政に与える影響は大きかった。
大国ロシアとの戦いにおいて、日本が消費した戦費は一七億円を超え、その額は日清戦争の八倍、開戦時国家予算額の何と七倍を超える巨額であった。それをまかなう資金は、国の内外で発行された公債と増徴された国税によった。戦勝の結果、台湾に加えて新たに南樺太・朝鮮を植民地とし、それに広大な南満州を半植民地的勢力圏(けん)とした我が国は、東アジアにおける最強の帝国主義国家となった。
しかし、この戦争では賠償(ばいしょう)金を獲得(かくとく)して戦費の補てんをすることもできず、巨額の戦時負債を抱えての帝国主義列強の一員としての戦後経営は、実に容易ならぬものがあった。こうした状況のもとで政府は、①戦時増税の固定化、②公債の低利借換え、③事業の繰延(くりの)べと行政整理、④財政負担の地方転嫁、といった方策に危機の打開策を求めた。明治四十四年(一九一一)の新市制町村制の施行による地方財政制度改革は、このような政策路線に沿ったものであり、市町村に対して国税増税と競合しないように課税制限をしながら、教育をはじめとする国政委任事務を確実に遂行(すいこう)させるための方策にほかならなかった。
こうした国の政策を背景にして、各町村では財政基盤の整備を進め、大正初年に会計規程・財産管理規程・村税賦課及び徴収規程などを定めるとともに、基本財産蓄積条例の改正を行った。当時、石戸村が定めた諸規程は、「埼玉県北足立郡石戸村条例規程」(大正七年六月)に一括(いっかつ)して収録されている。各町村におけるこうした財政基盤の整備は、郡全体として好結果をもたらし、北足立郡長をして次のように言わしめるに至った。
町村税ノ徴収ハ従来其成績不良ニシテ大正元年十二月第一回簿書検閲ノ当時ニ於テハ納期ヲ過キ尚完納ニ至ラサル町村甚多数ヲ存シ偶(たまたま)其完納ヲ告ケタルモノアルモ其数僅少(きんしょう)ナリシカ客年(かくねん)四月各町村ニ於テ新ニ会計規程ヲ設定シ町村税卜県税トヲ同一ノ令書ニ併記シ合セテ之ヲ徴収スルノ方法ヲ執(と)リ加フルニ当局者ハ納期ノ至ルニ先ンシ各種ノ方法ヲ講シテ納税者ニ注意ヲ加へ極力其徴収ニ努メタルノ結果全ク従来ノ面目ヲ一新シテ好成績ヲ示シ概(おおむ)ネ納期内ニ完納ヲ告クルニ至リタルハ財務整理上実ニ喜フトコロナリトス

(県行政文書 大四一二)


また、基本財産の蓄積もほとんどすべての郡・町村において実施されたが、石戸村では大正二年(一九一三)に三回目の条例改正を行い、「元資金五万九千円ニ達スル迄毎年度基本財産ヲ蓄積ス」(第一条)ることとした。その場合、蓄積額を「毎年度二百五十円以上」(第三条)とし、村の歳出費目に「基本財産造成費」を計上してその蓄積に努力した。一九一〇年代の後半期には毎年度一〇〇〇―二万円以上を「造成費」に計上して目標の達成に力を入れたが、その実現は容易ではなく、昭和年代に入ってようやく一万円台に達するという有様であった。当時、政府の方策に呼応して町村が基本財産造成に努力したのは、「不要公課町村」を実現するためであった。すなわち、町村税を課さなくても地方自治体としての職務を遂行(すいこう)できる財政力をもった町村をつくろうというわけである。この目標の実現は、政府にとって日露戦争後の経営との関係においてぜひとも達成したい課題ではあったが、町村サイドからみればかなり困難なことであった。
町村基本財産の蓄積と併行して、学校(小学校)基本財産の蓄積もほとんどすべての学校で行われ、その詳細な報告が郡単位になされている。北足立郡からの報告には、日露戦争時の「教育的紀念事業トシテ特ニ施設セルモノ、一ハ学校樹栽(じゅさい)並ニ学校基本財産蓄積ノ施設ニ関スルモノ是ナリ」とし、「三十七年九月並ニ同年十一月中各町村長小学校長等ニ訓令シテ学校樹栽並ニ基本財産蓄積ノ急須(きゅうす)ナルコトヲ指示奨励シ翌三十八年四月ニ至リ其施設ノ要目ヲ示シテ急速之カ着手ヲ促(うなが)シ以来郡書記郡視学(しがく)等ヲ町村ニ出張セシメ益々督励ヲ加ヘタルニ今ヤ到ル処之カ経営施設ノ声ヲ聞カサルナク其規模ノ大小計画ノ精粗(せいそ)ハ固ヨリ一様ナラスト雖(いえ)トモ之ヲ開戦以前ノ状況ニ比スルトキハ其普及卜発達トニ於テ著シキ差アルヲ見ルニ至レリ」(県行政文書 明二三三九)と述べられている。これによって明らかなように、北足立郡では郡当局を中心に積極督励策を展開し、郡下全町村に学校基本財産蓄積の徹底を図った。石戸村では大正二年(一九一三)一月、石戸村立小学校基本財産蓄積条例を改正し、「金五万二千円」を目標に毎年度基本財産を蓄積することとした。その場合、「村費ヨリ金二百五十円以上」と規定した。各年度の『村勢要覧』に掲載されている「歳入」によってみると、毎年度「きまり」にしたがって蓄積がなされていることが知られる。しかし、ここでも目標の達成は遠く、昭和五年度の段階でも目標額のわずか五パーセントを蓄積したにすぎない。

<< 前のページに戻る