北本市史 通史編 近代

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第3章 第一次大戦後の新展開

第2節 地域産業の発展と動揺

3 石戸トマト

トマトクリーム販売組合の設立

写真106 石戸トマトクリーム販売組合出資金払込領収書

(岡野武弘家 113)

この事業は、農友会の一事業としては経済的にあまりにも困難なため、石戸村農友会長田島忠夫・副会長小島業三郎両氏の奔走の結果、昭和二年に石戸村をはじめ馬室・中丸・川田谷・上平・桶川町の一町五か村連合で産業組合法による有限会社石戸トマトクリーム製造販売組合を組織することとなった。これはトマトクリームを製造販売するとともに、副産物である種子をアメリカへ輪出しようとするものであった。かくして同年六月十日に、産業組合組織として出資一口二〇円、都合一〇〇〇口の資本金二万円の有限会社石戸トマトクリーム販売組合が創設されたのである。
組合では、当初トマト栽培面積を一七町歩とし、製造額予定は六万円以上の見込みでいた。技術上の指導は県農事試験場(主任柿崎技師)が行うこととした。最初の一年でトマトクリーム一〇万函、トマトピクルス三万個が生産された。この実績を見て、農林省及び県は農家の新副業として非常に有望視し、極力助成をすることを決めたのである。出資に関しては、組合の精神を生かすため、トマト三七五キログラムを一〇円の割とした実績による払い込みと、作業による賃金での払い込みと、現金での払い込みの三つの方法がとられた。組合設立に関しては村内農家の七割近くの賛同が得られたという。実際にそれを物語る資料として、払込領収書が現存している(岡野武弘家 一一三)。工場の敷地として三三アールほどの藪が開拓され、その中に五〇〇平方メートルの工場が立てられた。工場の中には、直径二メートルほどの真空釜が立ち、三つの殺菌釜が横たわり、二〇馬力の蒸気エンジンと一八馬力の電動機一台がおかれていたという。
表61 有限会社石戸クリーム販売組合第三年度総会報告書
財産目録
資 産
種  目摘  要金  額
聯 合 会 出 费 金口  数有限實任埼玉県信用利用組合聯合会    一口三〇〇円〇〇
設 備 物 件点  数加工場二楝機関室一棟一一六坪機械外  八八点二一、七四一六六
什  器点  数金庫外                 四点五二九四四
買 取 販 売 品数  量トマトクリーム    一一九、七三六 封度
トマトケチャップ    二、七六〇 封度
一四、五八五一〇
販 売 掛 売 金件  数九件六、二七三二八
商 標 権一〇四〇〇
容  器数  量瓶三八、〇〇〇本九五〇〇〇
合  計五四、四八三四 八
負 債
種  目摘  要金  額
聯合会未済出資金ロ  数有限責任埼玉県信用利用組合聯合会     一口二五〇〇〇
借 入 金件  数三件三一、〇〇〇〇〇
仮 受 金一件一九四一八
未 払 金三件二、二七〇〇〇
合  計三三、七一四一八
差引純資産弐万七百六十九円参拾銭
貸借対照表
貸  方借  方
種  目金 類種  目金  額
聯 合 会 出 資 金三〇〇〇〇出 資 金二〇、〇〇〇〇〇
設 備 物 件二一、七四一六六準 備 金一六六七四
什  器五二九四四聯合会未済出資金二五〇〇〇
買 取 販 売 品二四、五八五一〇借 入 金三一、〇〇〇〇〇
販 売 掛 売 金六、二七三二八仮 受 金一九四一八
容  器九五〇〇〇未 払 金二、二七〇〇〇
商 標 権一〇四〇〇本 年 度 剰 余 金六〇二五六
合  計五四、四八三四八合  計五四、四八三四八
損益計算
利  益損  失
種  目金  額種  目金  額
販 売 益 金一五、八七九〇五諸 給 料二、九一三二六
補 助 金一五〇〇〇通 信 費二〇〇〇
消 耗 品 費二五二五
印 刷 費三〇九九〇
負 担 金四六〇〇
修 繕 費六七八六三
借 入 金 利 息一、六五一五〇
加 工 事 業 費六、〇九二八〇
運  賃一、一七四八九
販 売 事 業 費六二〇.〇〇
雑  費一八二六四
電 灯 動 力 料二六八四七
奨 励 費(競作会運搬)七七〇〇〇
研 究 费一七三一五
特 許 手 数 料五〇〇〇〇
合  計一六、〇二九〇五合  計一五、四二六四九
差引剰余金六百二円五十六銭

(加藤一男家 三七~一四)

剰余金処分案
一金壱万六千二十九円五銭也     本年度総益金
一金壱万五千四百二十六円四十九銭也 本年度総損金
差引金六百二円五十六銭也      本年度剰余金
此ノ処分金六百二円五十六銭     準備金
 右之通リニ候也
   有限責任石戸トマトクリーム販売組合

昭和三年度事業報告書(近代№一四七)によると、事業規模は、トマト栽培人員は四一〇人、同反別(面積)は八丁(町)五反歩、同区域は石戸村外一町六か村、トマト産額は六万五〇〇〇貫匁、加工期間は八月から十月までの三か月であった。加工品高は、トマトクリームが四ダース詰を一三〇〇箱で見積価格二万八〇〇円(一箱一六円と見積って)ということであった。トマトピクルスは四〇〇貫で、見積価格一〇〇〇円であった。
この年の加工状況は、天候不順のためにトマトの収穫が激減してしまい、大きな影響を受けた。懸案であった井戸が完成し、十分な作業を成し得る期待があったにもかかわらず、肝心のトマトの収穫減少が、工場設備に対する生産工程を著しく効率の悪いものにしてしまい、製品の価格を割高にした。このことはトマト加工のためには豊富な水を必要とすることを示唆しており、また、利益をあげるためには、トマトを増産することが急務であったことがわかる。
この年の販売状況を見てみると、やはり天候の影響を受けていた。愛知・茨城・千葉・神奈川の諸県は大減収となり、価格が生産当時より漸騰(ぜんとう)していたものが、端境期(はざかいき)の五月にいっきょに昂騰(こうとう)し、生産当時より五割高になっていた。石戸のトマトは、品質が良く、価格も廉価であったため、売れ行きが良好であった。惜しむらくは、トマトそのものが少なかったという状態であった。昭和五年の組合状況(近代№一四八)を見ると、作付反別(面積)が昭和三年度の八町五反歩から一五町歩に増え、年生産が二万五〇〇〇円というように着実に成長している。表61で紹介した第三年度総会の「自昭和四年四月一日至昭和五年五月(三ヵ)三十一日通常総会報告書」(加藤一男家 三七━一四)を見ると、有限会社石戸トマトクリーム販売組合の財産(資産)及び損益がわかる。
財産目録の貸借対照表からわかるように、一口二〇円で集められた二万円の出資金と三万一〇〇〇円の借入金が、資金調達の大部分である。二万円を越える設備物件の額からして、設立当初の設備投資や原材料購入はある程度借入金によっても賄われていたことが想像される。損益を見ると、一万五八七九円五銭の販売益金とあわせて補助金一五〇円があり、総益金が、一万六〇二九円五銭であった。この中から一万五四二六円四九銭の総損益を引くと、差引き六〇二円五六銭の剰余金(利益)がでていたことになる。この剰余金を次年度の準備金として繰り込んでいることから、経営は順調に推移していたといえよう。

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