北本市史 通史編 近代

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第3章 第一次大戦後の新展開

第3節 国民教育体制の拡充

1 小学校の拡充と教育の新動向

色刷り国定教科書の登場

写真122 尋常小学修身書巻一

(窪田祥宏氏蔵)

先に述べたように、昭和初期には多くの学校、とくに小学校で綴方教育や郷土教育が実施されたが、昭和六年の満州事変を契機(けいき)に、国民教育は新たな展開を見ることとなった。そのことを象徴(しょうちょう)する事実が国定教科書の改訂であって、ここに初めて色刷り教科書が登場した。国語読本は薄茶色、修身教科書は薄青色、算術教科書は緑色の表紙で、低学年の教科書はいずれも色刷りの挿絵(さしえ)を用いている。内容(教材)の取り扱い方には、子どもの心理と生活を重んずる新教育思想の影響がみられる。しかし、その反面、満州事変以後の国家主義思想も内容の上に色濃く反映されている。
ところで、装(よそお)いを新たに登場した新国語読本は、『小学国語読本』とその書名を変え、各学年二冊で計一二冊本である。昭和八年度の第一学年から順次学年進行に伴って使用された。巻一の巻頭は、見開き二ページで日本を代表する花木である桜が美しく咲いている色刷りの挿絵(さしえ)に、「サイタサイタサクラガサイタ」という文章で始まっている。これが俗に「サクラ読本」と呼ばれるものである。大正期までの国定読本は、単語学習から始まったが、この読本は短文からスタートしている。しかも、その文章に表現された内容は、日本を代表する「サクラ」であり、そのめざすところは国民意識・国家意識の形成であった。このことは国語読本に限られたことではなく、この時期の教科書(第四期国定教科書)に共通する特色といってよい。明るく一見のどかな「サクラ読本」にも昭和恐慌を背景にファシズムへの風潮がしのびこみ、「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」(兵隊の絵)、「ヒノマル ノハタ バンザイ バンザイ」(日の丸の旗の絵)など軍事的色彩が強められてきた。こうした傾向(けいこう)は、もちろん他の巻にも及び、「兵営だより」(巻七)、「大演習」(巻八)、「機械化部隊」(巻二ー)、「ほまれの記章」(巻一二)などにあらわれている。
修身教科書は、書名は変わらず従来どおり『尋常小学修身書』であるが、修正本は昭和九年度より学年進行の形で発行され、同十四年度の巻六で完成した。これが第四期の国定修身教科書であって、薄青色に花模様をちらした表紙で、巻の三の半ばまで色刷りの挿絵が用いられ、親しみやすい体裁(ていさい)のものとなった。しかし、その内容には国語読本と同様に国家主義思想が反映されている。編さんの基本方針をみると「忠良ナル日本臣民タルニ適切ナル道徳ノ要旨ヲ授ケ」「殊ニ国体観念ヲ明徴ナラシム」と記されている。この方針によって編集された修身教科書は、子どもの心情や生活を考慮しながら「億兆一心(おくちょういっしん)ノ共同生活ヲ全ウスル」という、満州事変以後の国家的要請に意が注がれている。課数はこれまでの教科書とはほとんど変わらないが、全体としてベージ数は著(いちじる)しく増加した。今まで二年までであった掛国も全学年にわたって作られた。

写真123 同

写真124 同

巻一をみると、巻頭には二ページ大で二重橋を出る天皇の公式ろぼのカラーの口絵が掲げられ、次いで十数ページにわたって色刷りの絵だけで学校生活や子どもの日常生活にふれた内容を扱っている。
第一課の「ガッカウ」では、入学する子どもに母親がっき添(そ)っていく風景と、「ヨクマナビョクアソベ」をテーマにして教室と運動場で遊ぶ絵、第二課は「テンチャウセツ(天長節)」で観兵式(かんぺいしき)の絵である。最後の第二七課は、「ヨイコドモ」で従来は終業式の絵に「イマ シウゲフショウショ(終業証書) ヲ イタダイテ ヰ(い)マス。」とあったのが、「ココニヰ(い)ルノハ、センセイノヲシへヲマモッタヨイコドモデス。ミンナソロッテ、二ネンセイニナリマス。」と変わり、子どもの服装も洋服となり、式場の正面の壁には「忠孝」の額が掲げられている。これは注目すべき変化の一つであるが、そのほか祝祭に関する道徳教材が増加したこともこの修身書の特徴である。巻二には「キゲンセツ」、巻三には「明治節」の課がおかれ、「国旗」(巻三)において、
日の丸の旗は日本の国旗です。我が国の祝日や祭日には、学校でも、家々でも、国旅を立てます。これは、国民が、祝日には、おいは(祝)いの心持をあらはし、祭日には、つつしみの心持をあらはすためです。(以下略)
とあり、巻四の第一七課には「祝日(しゅくじつ)・大祭日(だいさいじつ)」があり、第二三課には新しく「国歌」がおかれた。そこには、
「君が代は、千代に八千代に、さざれ石のいはほとなりて、こけのむすまで。」
とほがらかに歌ふ声が、おごそかに奏楽と共に、学校の講堂から聞えて来ます。今日は紀元節です。学校では、今、儀式が始って、一同「君が代」を歌ってゐるところです。……「君が代」は、日本の国歌です。我が国の祝日や其の他のおめでたい日の儀式には、国民は、「君が代」を歌って、天皇陛下の御代万歳をお祝ひ申し上げます。

とあり、国旗も国歌も祝日と結びつけて扱(あつか)われている。
ところで、ここにいう「祝日」とは元日・紀元節・天長節・明治節をいい、「大祭日」とは元始(げんし)祭(一月三日)、春季皇霊(しゅんきこうれい)祭(春分の日)、神武天皇祭(四月三日)、秋季(しゅうき)皇霊祭(秋分の日)、神嘗祭(かんなめさい)(十月十七日)、新嘗祭(にいなめさい)(十一月二十三日)、あり、同時に当時鼓吹(こすい)された「国体明徴」の思想とも関連するものであった。「祝日・大祭日」について教師用書は「我が家には誕生の祝、祖先の祭があり、我が郷土には氏神の祭礼があるように、我が国には国の祝祭があります。我が国の祝祭は、我が国体に淵源(えんげん)していて、政事も、徳教も、皆祝祭と一致して離れない関係にあります。これ、我が神国たる所以(ゆえん)であります」と述(の)べている。まさに祝日・大祭日は神国日本の象徴であった。
このように昭和初年の第四期修身教科書は、「国体明徴」をスローガンとして「忠良ナル臣民」の育成を目標としている。そしてすべての国民道徳は、「家」を通じ、「祖先」を通じて「肇国(ちょうこく)の精神」に結びつくものと考えられた。巻一の口絵が天皇の公式ろぼであったことは先に指摘したが、巻二では神武天皇東征の金瑦(きんし)、巻三では皇大神宮の社殿を色刷りで掲げているのも、第四期国定修身書の性格をよく表しているといえよう。
算術の教科書は、書名を『尋常小学算術』と改めた。第二、第三期の算術書は最初の国定本を修正した程度のものであったが、この『尋常小学算術』は全く新しく編集され、第一・第二学年の児童用も初めてつくられた。これまで各学年一冊であったが、各二冊となった。緑色の表紙で、挿絵(さしえ)も低学年は色刷りとなり、第一学年上巻などはほとんど色刷りのきれいな絵ばかりで、絵本を見る思いさえする。第一学年上巻をみると、巻頭は見開き二ページ絵で、紅白二組に分かれて「球入れ」をしている光景を題材にしている。そこでは物の数の多少を直観的に判断させ、次に「ーつ、二つ、三つ」の数え方を学ばせる。それに①球入れ、②おはじき、③ボタンの配列(はいれつ)の三課を設けている。その場合、単に数えるのみではなく、大きさ・方向・位置・形などにも指導の目標をおいている。
上巻は二〇までの数の範囲であるが、下巻では数の範囲を一〇〇まで広げ、絵図が少なくなって、文章と数式が加わり、簡単な計算を授(さず)ける。第二学年では数の範囲を一〇〇〇まで広げて簡単な計算を授けるとともに掛算割算を指導する。第三学年では角・分数に始まり、図形及び統計的処理について学ばせる。また新しく珠算を加えている。第五学年では「公式」を初めて導入し、比例・歩合(ぶあい)・図形などを取り扱う。第六学年では義務教育の最終段階として、第五学年までのまとめと、日常生活や産業などに関する計算に習熟させる。
歴史の教科書も内外諸情勢の変化に対応して、昭和九年と翌十年に修正された。しかし、このたびの修正は前回のように全体を書き改めたのではなく、時代の推移によって新たに追加したものであるといえよう。この期の教科書において改められた点は、文章を文語体から口語体にし、生徒に理解しやすいようにしたこと、下巻の終わりに満州国の独立を加え、「国民の覚悟」の一課を設けたことである。
『尋常小学国史』(上・下巻)は、その後の時代の変化によってさらに修正が加えられた。そして、昭和十五年に書名も改められて『小学国史』となった。この修正において、巻頭に「神勅(しんちょく)」が掲げられた。これは国体明徴のための方策であって、全体として皇国民の育成が差し迫った目標とされた。

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