北本市史 通史編 近代

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第4章 十五年戦争下の村とくらし

第3節 太平洋戦争と教育

2 青年教育の再編成

教練の査閲
青年学校の本科は、その名のとおり青年学校教育の中心的存在であるが、その本科において最も重視されたのが「教練」であった。在郷軍人ないし軍隊経験者が「指導員」となって教練の訓練に当たった。年に一度現役将校を査閲官(さえつかん)として招き、軍事訓練の成果を発表した。これがいわゆる査閲といわれるものであって、青年学校において最も重要な行事とされた。
査閲は、おおむね秋(九月下旬~十一月)に二か村(石戸・中丸)ないし三か村(石戸・中丸・常光)連合の形で行われた。
日中戦争が勃発(ぼっぱつ)した昭和十二年度の教練査閲は、石戸・中丸両靑年学校合同で十一月二十八日に中丸小学校で実施さ
れた。その時の「教練受閲(じゅえつ)計画」によれば、「査閲順序」は
 一、学科査閲
 二、書類査閲
 三、集  合
 四、国旗掲揚
 五、管理者及学校長ニ対スル敬礼並ニ人員報告
 六、査閲官立合官臨場
 七、国歌奉唱  宮城遙拝(ようはい)
 ハ、立会官紹介
 九、査閲官紹介
 十、教練査閲
  イ諸科目  口査閲官ノ講評訓示  ハ感謝状授与  ニ賞詞授与  ホ手牒(てちょう)交付
十一、立会官ノ学科査閲講評
十二、学校長の答辞
十三、靑年学校ノ歌斉唱
十四、聖寿(せいじゅ)万歳
十五、解  散
十六、指導員ニ対スル所見開示 

 (石戸村 五六〇)


となっている。そして、査閲の中心をなす「教練査閲(さえつ)」は、次のように計画された。
表70 教練査閣の計画
順 序区分
課月
受 閲 者時間配当開始時間細 部 ノ 課 目涵養徳目実 施 要 領
1閲  兵全 員0.05后1.00禮節団結ヲ尚ブノ念ラ養フ中隊横隊
2各個教練本一・二0.301.05不動ノ姿勢
右左向 行進
服 従各校同時二行フ
本三・四立射・膝射・伏射
本一・二行進方向隊形変換
3部隊教練密集本一・二0.051.35集合 解散實同責任本一二三
本四研一ニ
ニ分ケテ行フ
本三・四伏セ発信停止
射撃突撃
本一・二
疎 開本三・四0.201.40分隊ノ散開前進及停止敢 為突撃動作八五〇米以上離レルコト
研一・二分隊ノ散開射撃突撃
4軍事講話全 員0.102.00日中戦争ノ源因及現時青年・覚悟生徒ノ日常見聞スルモノヲ基礎トス
5分  列全 員0.102.10受禮者ハ査閲官
6訓  示全 員0.102.20査閲官・講評訓示
7賞詞感状ノ授興ト三月年学校手牒ノ交付全 員0.102.30査閲終了ノ告示

(石戸村 五六〇より引用)

この表70から当時における青年学校査閲の概要(がいよう)を知ることができるが、このたびの査閲は「当村ノ実情ニ鑑(かんが)ミ各個教練部隊教練ニ重キヲ置キ、特ニ高学年ニテハ各個戦闘教練ヲ実施ス」(前同書)ることを主眼として行われた。「気をつけ!」による「不動ノ姿勢」から「行進」、さらに「突撃」「射撃」と訓練はまるで軍隊演習さながらに展開された。そして、それが終了すると査閲官(現役将校)から講評並びに訓示をうけてメイン・スケジュールを終了するわけである。青年学校の一大イベントであるこの査閲には、村長をはじめ在郷軍人分会・国防婦人会支部分会等の団体の役員・会員が多数参観した。特に国防婦人会埼玉本部はこのことに熱心で十三年(一九三三)九月十九日「青年学校教練科査閲ニ就(つい)テ」各支部分会宛に通達を発し、査閲の当日にはなるべく多数の会員が参列するよう呼びかけた(加藤昌一家 八十五)。なお、昭和十四年度の査閲(同年十一月九日)は、石戸・中丸・常光三校合同で中丸青年学校々庭で実施された。その際、査閲官として山川少佐が臨場した(加藤昌一家 一四五)。

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