北本市史 通史編 近代

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第4章 十五年戦争下の村とくらし

第3節 太平洋戦争と教育

3 青少年団の活動

少年団の結成
少年団という小学生を対象とする団体は、すでに大正期に存在したことが知られているが、昭和期に入って恐慌を背景に反体制運動が高揚すると、政府はその対策の一つとして青少年の思想善導の重要性を強調した。昭和七年十二月の文部大臣訓令「児童生徒ニ対スル校外生活指導ニ関スル件」(『埼玉県教育史第五巻』P六四四)は、その具体的施策である。その訓令において、文相は「輓近(ばんきん)社会教育ノ進展ニ伴(ともな)ヒ之(これ)ニ関スル施設ハ比年(ひねん)著シク普及シ其ノ成績亦観(み)ルベキモノアリト雖(いえども)小学校並(ならびに)中等学校ノ児童生徒ニ対シ其ノ余暇ヲ利用シ社会生活ニ関スル訓錬ヲ行ヒ以テ学校教育ノ補足ヲ図ルベキ施設ニ至リテハ今猶(なお)遺憾(いかん)ナル情態ニ在り」と述べ、学校教育を補足するためには、児童生徒に対する社会教育の改善・普及が必要であるとし、そのためには、「既設少年団運動等ノ実績相当観ルベキモノアリト雖(いえども)其ノ内容尚改善ノ余地ヲ存シ」として、この再編を示唆(しさ)している。そして校外生活の指導・社会生活の訓練に当たっては、「敬神崇祖、社会奉仕、協同互助、規律節制、勤労愛好ノ精神ヲ培(つちか)ヒ併セテ体位ノ向上ヲ図り」、もって健全なる国民・善良なる公民としての素地を涵養(かんよう)することを目的としている。なお、この施策の実施には学校教育との連携を密にし、「学校当事者教育教化ノ関係者等倶(とも)ニ力ヲ協(あわ)セ」、地方の実情に応じてそれぞれ有効な事業を開設するよう要請している。
また、以上の訓令とともに出された文部次官通牒では、「本指導八成ルベク学校又ハ一定ノ地域ヲ単位トシテ之ヲ行ヒ、必要ニ応ジテ団体ヲ組織シ更ニ連合(れんごう)団体ヲ組織スルモ可」とし、とくに小学校第三学年以上の児童の加入を標準に勧奨(かんしょう)している。指導者は、「学校当事者を中心とし、教育教化関係者、男女青年団体幹部、在郷軍人等で一致協力して事に当たること」、「学校当時者を除外して外部の者のみによって行なうべきでない」として、教員が中心となって指導に当たるべきことを強調した。
そこで本県では、昭和八年十月、少年団規約準則を定め、学校を中心とする少年団体の結成を奨励した。その結果、一年後の九年十一月までに九十二団結成され、従来の少年団と合わせた場合、一一四団にも達した(『埼玉県教育史五』P六四八)。その後、従来の少年団のうち学校少年団に吸収されるものもあり、また逐年(ちくねん)結団数を増加して次第に県下に普及していった。同十四年十月二十四日に発足した中丸尋常高等小学校少年団もその一つである(近代No.二二三)。教育関係資料としてあらためて紹介する。
中丸尋常高等小学校少年団々則
第一条 本団ハ学齢期ニアル少年ノ校外生活ヲ指導シ、心身ヲ鍛錬シ、健全ナル国民ノ素地ヲ培(つちか)ヒ、進ンデ社会公共ノ生活ニ関スル訓練ヲ施シ、以テ学校教育ノ効果ヲ全(まった)カラシムルヲ以テ目的トス
第二条 本団ハ中丸尋常高等小学校少年団卜称シ、事務所ヲ同校内ニ置ク
第三条 本団ハ中丸小学校学齢児童ヲ以テ組織ス
第四条 本団ハ本部及分団ニ分チ、分団ハ更ニ十箇ニ各男女二組ニ分ツ
第五条 本部ニ次ノ役員ヲ置ク
    団長一名、副団長一名、会計係一名、監督若干、幹事若干名
    団長ハ校長、副団長ハ首席訓導、会計係、監督ハ小学校職員、幹事ハ分団ノ正副分団トス。団長ハ団ヲ統括シ、副団長ハ団長ヲ輔佐シ団長不在ノトキハ之ヲ代理ス。会計係ハ団ノ会計ヲ掌(つかさど)り、監督ハ分団ヲ担当シ、団ノ目的ニ従ヒテ分団ヲ指導、幹事ハ本部卜分団トノ連絡(れんらく)ヲ計り、団事業ニツキ評議実行ノ任ニ当ル、幹事ノ任期ハ一年トス、但重任ヲ妨ゲズ
第六条 分団ニハ次ノ役員ヲ置ク
    分団長一名、副分団長男女各一名、世話係男女各一名
    分団長ハ分団ヲ統括シ、副分団長ハ分団長ヲ輔佐シ、分団長不在ノトキハ之ヲ代理ス、世話係ハ正副分団長ノ命ニ従ヒ分団員指導ノ助手ヲナス。役員ノ任期ハ一年トス、但シ重任ヲ妨ゲズ
第七条 本団ハ目的達成ノ為メ左ノ事業ヲナス
(1)小学校児童ノ登校下校ノ規律的団体訓練
    分団ニ集合所ヲ設置シ、登校日ニハ必ズ集合シ、整列・整頓・人員点呼ノ上副分団長ヲ先頭分団長ヲ殿(しんがり)ニ世話係ヲ中位ニ、左側通行ニヨリ登校シ、校門内ニ停止、御影遙拝(ぎぇえいようはい)ノ後解散スルモノトス
(2)敬神崇祖ノ念涵養(かんよう)
    毎月一日十五日及祝祭日、記念日等ニハ早起会ヲ兼ネ、各部落神社ニ集合社殿社庭ノ清掃・列拝ヲ行ヒ、又、分団及部落内ノ戦死者及公傷病者アルトキハ、盂蘭盆(うらぼん)彼岸等ノ際墓所ノ清掃及参拝慰霊ヲ行フ
(3)出動将兵ノ歓送迎
    授業時以外ニ出動将兵アルトキハ之レガ歓送迎ヲ行フ、但シ授業時ノ場合ハ校規ニ従フモノトス
(4)校外指導
   a分団役員八登校及下校後ノ分団員ノ動静ヲ監督シ、ソノ善行ヲスゝメ、悪化ヲ矯(た)メテ之ヲ善導シ、毎日ソノ分団ノ状況ヲ日誌ニニ認(したた)メ、監督ノ検閲及指示ヲ受クルモノトス
   b毎月二回本部会議ヲ開催シ上半期ヲ反省、下半期ノ指導方針ニ付協議決定実行スルモノトス。
(5)公益事業及軍人援護事業ノ団体的訓練
    少年ヲ以テ為シ得ル範囲ニ於テ、以上事業ノ自発的実施ヲナスモノトス
(6)其ノ他児童徳性ノ涵養(かんよう)ニ関スル事業ノ実施
第八条 本団経費ハ補助金又ハ寄付金ヲ以テ充当シ、団員ヨリ団費ハ徴集セサルモノトス
(昭一四・一〇・一三、戊申詔書下付記念日)

(加藤昌一家 一四二)


この団則は、県の少年団規約準則にしたがっており、本団の目的は前掲の第一条に規定されているとおりである。事務所を同校内に置き、同校の児童をもって組織した。団長は校長、副団長は首席訓導がこれに当たった。主な事業として(1)小学校児童の登校下校の規律的団体訓練、(2)敬神崇祖の念の涵養、(3)出動将兵の歓送迎、(4)校外指導、(5)公益事業及び軍人援護事業の団体的訓練、(6)其の他児童徳性の涵養に関する事業の実施、の六項目とした。太平洋戦争開戦直前の昭和十六年一月十六日には各種の青少年団体が統合されて大日本青少年団が結成され、その傘下(さんか)の下部組織として位置づけられるとともに、大政翼賛の実践団体としての機能を最大限に発揮させられることとなった。そして、同十八年五月、北本宿村青少年団の結成によってその一組織となり、また、それは国民学校と一体となって訓練及び奉仕活動に従事した。その活動の一端(いったん)は各『学校日誌』に記録されている。

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