北本市史 通史編 近代

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第4章 十五年戦争下の村とくらし

第1節 十五年戦争下の村政

3 大政翼賛運動と村政

市域の翼賛壮年団
昭和十七年九月二十六日発行の「翼賛(よくさん)壮年運動」第十七号に、石戸村翼賛壮年団についての記が掲載(けいさい)されている。
それによると団員数は一〇〇名で、年齢構成は二十五~二十九歳が十七名、三十~三十四歳が十三名、三十五~三十九歳が二十六名、四十~四十四歳が二十五名、四十五~四十九歳が十三名、五十~五十四歳が五名、五十五~六十歳が一名というものであった。
団の組織は、庶務・組織・情報・産業・経済・文化の六部に分かれ、またその下に各部落会ごとに十五の班がおかれた。石戸村内の十五名の部落長のうち八名が団員であり、残りの七名も親や兄が団員であり、村に何らかの関係を持つものであった。村の組織の中に翼賛壮年団が縦から横へと入り込んでいた様子がわかる。
石戸村翼賛壮年団の行った運動は村内の行政や生活にも直接入り込むものであり、例えば、経済部が国民貯蓄運動を起こせば、貯金を預(あず)かる産業組合もそれに対応して、日曜日も精勤し、二分七厘の普通利子を国民貯蓄に限って三分に引き上げるという協力をするというものであった。また、文化部は、文化部の主任が警防団長で、副団長が国民学校長であるため、「必勝態勢確立のための国民貯蓄運動に策動する高雅雄渾(こうがゆうこん)なる文化建設運動展開」という運動を展開した。そのほかに情報部が小麦供出に対する一般動向調査をすると、産業部が大小麦供出促進運動を展開するというものであった。
各部会は、村常会の終了とともに開催され、研究討議された。団常会はその月の計画を団長が提示し、村長が村の計画を提言し、各部の研究事項について、この席で討議した。また、部落常会では壮年団の決定事項が示され、団員を通して隣保(りんぽ)班から家庭へ伝えられ、全村一致運動が展開された。
例えば、石戸村では、「駅までの道こそ大東亜へもつながる道だ、我々はこれを立派にしなけれ.はならない」というスローガンのもと、翼賛壮年団では北本宿駅までの約二キロの道を修理するという計画が提出された。英霊帰還の際(さい)は何メートル、出征(しゅっせい)軍人を送るときは何メートル、帰還勇士を迎えるときは何メートルと定めて、団員と婦人会員とが中心となって道路の修理をするというものであった。道を掃(は)き清め、村人が「国家へ繋(つな)がる道」を毎日踏むことによって、国のありがたさや国民としての責任を自覚するという試みであった。
翼賛壮年団が、村政の中に入り込み、戦時下の国家主義の中でいかに巧妙に戦争協力体制を敷いたかがわかる。それは村行政に結びつき、また逆に下からの急進的ファシズムをも取り込みながら、国策協力運動を展開し、中央の大政翼賛会と連動しながら、秩序と統制のもと積極的に戦争協力をしていった。
石戸村翼賛壮年団は、昭和十九年五月九日に北足立郡の畑作中心地域から県指定団に決定され(『県史資料編二十』P一〇六)、まず県団の査閲(さえつ)を受けた。また、中央指定団の内申をもその後受けることとなった。
石戸村翼賛壮年団の経費は、昭和十七年九月二十六日発行の「翼賛壮年運動」第十七号によると、次のとおりであった。
収入
団費一二〇円  町村補助一五〇円  寄付金十円  雜収入二十円  計三〇〇円
支出
 人件費 七十円(旅費五十円 給与二十円)
 事務費一〇〇円(備品費四十五円 消耗品費五十五円)
 事業費一三〇円(錬成講習会費五十円 講演会費三十円 会議費十円 表彰費三十円 弔慰費十円)  計三〇〇円

村レベルでの翼賛壮年団の組織内を知る資料として、中丸村翼賛壮年団々則(近代No.七十九)がある。ここではそれをもとにその内部を窺(うかが)うこととする。
中丸村翼賛壮年団の本部は、中丸村役場に置かれており(第一条)、村行政と強力な関係をもっていた。
目的は埼玉県北足立郡中丸村支団として、大政翼賛運動に率先して挺身(ていしん)することとされた(第二条)。
団員は村内に居住するものによって組織され(第三条)、名誉団長一名、団長一名、副団長一名、総務若干名という役員構成であった(第四条)。
名誉団長は大政翼賛会中丸村支部長があたり、団長及び副団長については、県団長の申請に基づいて大日本翼賛壮年団長が指名した。また総務については、団長の申請に基づいて団員の中から県団長が指名した(第五条)。
団長は郡団長の指揮を受け、団を統率(とうそつ)し、重要団務について名誉団長と諮(はか)り行うという形態をとった。また副団長は団長が事故の場合代理となり、通常は団長を補佐した。総務は団長・副団長を補佐し、団の運営に参画(さんかく)した(第六条)。
役員の任期は二年であり、再指名も認められていた(第七条)。
経費は団費のほか、補助金その他の収入をもって満たすこととした(第八条)。
以上で分かるように村レベルの翼賛壮年団の組織内の構造は上からの統制で成り立っていた。実際に、大日本翼賛壮年団発足後、地方の組織化が進められ、「県翼賛壮年団結成準備委員会の指導の下に市町村内の結成準備委員会を設け」(『県史資料編二十』No.一〇五)という指導のもと、単位団は組織化されていった。上意下達(じょういかたつ)の運動を展開する組織として村レベルまで徹底しようとした中央の意図がそこに示されている。

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