北本市史 通史編 現代
第1章 戦後復興期の北本
第2節 町村合併と三十年代の村政
2 町政移行期の村政
都市計画法適用地域に都市の戦災復興が一段落するとともに、全国的な国土開発計画が実施され始めた。それに伴って都市計画法(旧法、大正八年施行)の一部が改正され、「公共団体ヲ統轄する行政庁ノ行フ重要ナル(中略)都市計画事業ニ要スル費用八(中略)国二於テ其ノ二分ノ一ヲ負担ス」(第六条の二)ることとなったため、昭和二十七年埼玉県南の諸町村とともに、北本宿村も同法の適用地域指定を申請した。その申請書によれば、見込まれる人口増加に対応するための下水道整備、道路整備、住宅・文教・商業・工業地区の規制(きせい)を三本柱に、衛生的で計画的な都市づくりを目標にしていたことがわかる(現代No.二十一)。
この申請は翌年認可され、次の表4に示す八路線が都市計画街路に指定された。
表4 昭和三十年指定、都市計画街路
等 級 | 類 別 | 街 路 名 称 | 起 点 | 終 点 | 幅員(m) | 延長(m) | 備 考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
二等大路 | 二類 | 西 中 央 通 線 | 北本宿(上原) | 高尾(谷足) | 一五 | 九八五 | |
二等大路 | 二類 | 中 山 道 | 北本宿(上原) | 東間(上手) | 一五 | 二、〇九〇 | |
二等大路 | 二類 | 東 大 通 線 | 北本宿(徳之道) | 東間(上手) | 一五 | 一、五八〇 | |
二等大路 | 二類 | 東 大 通 線 | 山中(八幡) | 宮内(新田) | 一六 | 一、五四〇 | 延長変更 |
二等大路 | 二類 | 中 央 通 線 | 北本宿(上原) | 宮内(原) | 一六 | 一、一七一 | 幅員変更 |
二等大路 | 三類 | 上 原 線 | 下石戸下(考戸) | 高尾(馬込) | 一一 | 一、三三八 | |
二等大路 | 三類 | 莒 蒲 線 | 下石戸上(上手) | 古市場(堀込) | 一一 | 二、四一三 | |
二等大路 | 三類 | 高 尾 宮 内 線 | 下石戸上(山中) | 宮内(本村) | 一一 | 一、六九五 | 幅員変更 |
一等小路 | 柬 中 通 線 | 北本宿(徳之道) | 東間(上手) | 九 | 一、五八〇 | 追加 | |
一等小路 | 北 二 号 線 | 東間(上手) | 宮内(新田) | 九 | 六三〇 | 追加 | |
一等小路 | 環 状 線 | 東間(上手) | 北本宿(西後) | 九 | 二、八五五 | 新設路線 | |
一等小路 | 南 一 号 線 | 山中(八幡) | 北本宿(西後) | 九 | 一、〇四〇 | 追加 |
注1:昭和29年指定の都市計画街路は、昭和30年に一部変更されたため、ここでは後者をあげ、変更部分については備考欄に示した。
注2:等級および種別は幅員によって分類したものである。広路、一等大路、二等大路、二等小路があり、一・二等大路はさらに第一~第三類に分類されていた。中山道のほかはすべて村道であった。(北本宿 二〇三より作成)
昭和三十年代に入ると、世間は神武(じんむ)景気(けいき)を謳歌し、経済白書も「もはや戦後ではない」といい、東京近郊では都市化が始まりつつあった。経済の回復と生活水準の向上によって住宅需要は一段と高まり、住宅公団による低廉(ていれん)な住宅の供給が始まった。宅地の先買いをはかる住宅公団の適地調査において、村内では表5に示す三地区があげられていた。
表5 集団住宅適地調査(昭和33年)
位 置 | 総面積 (坪) | 地目(%) | 買収予定 価格 (円) | 地主数 (人) | ||
---|---|---|---|---|---|---|
畑 | 山林 | その他 | ||||
下石戸上字山中 | 54,000 | 69 | 19 | 12 | 1,700 | 99 |
東 問 | 57,400 | 51 | 38 | 5 | 1,100 | 51 |
下石尸下字下地(ママ) | 42,000 | 39 | 38 | 23 | 1,000 | 177 |
(北本市資料より作成)