北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第3節 食糧増産時代の北本

5 土地改良事業の展開と陸田の成立

土地改良区の設立と土地改良事業
戦後の緊急食糧難時代に行われた耕地拡大政策、いわゆる開拓による食料増産対策は、政府の期待するような効果をあげることはできなかった。そこで、これにかわって昭和二十年代中葉から登場したのが、既存耕地の改良を主体とした増産対策であった。こうした増産対策の路線転換を反映して、北本でも常光別所・花ノ木両集落の強湿水田六十八ヘクタールに暗渠(あんきょ)排水事業が行われた。事業目的は湿田改良による水稲増収効果と二毛作体系(裏作)の確立であった。この事業と並行して、山中でも揚水機場を設置して天水田の用水補給と陸田灌漑を行い、水稲の増収を図った。
表10 北本の土地改良事業
区分
土地改良区
事莱年度事業内容受益面積(ha)事業地域事業費(万円)備 考
北本宿第一二九~三一暗渠(さんきょ)排水六八宮内・花ノ木七八〇強湿田・洪水被害
山  中三〇揚水機場四・五山中六八-
上  沼三二揚水機・水路〔五五〕高尾五二八新農山漁村建設事業・陸田
下  沼三二揚水機・水路〔五五〕高尾六二〇新農山漁村建設事業・陸田
古 市 場三三区画整理・排水改良古市場七三用水不足・湿田・田畑作地域
北本東部四〇区画整理・排水改良一五・一古市場・山中・北中丸二一五畑地改良
北中丸南四〇圃場整備四九北中丸一二〇畑地改良
元荒川上流三九・四三揚水機場(二基)五九花ノ木・宮内地元負担計 一八〇水田加用水
町  営四二農道整備荒井・高尾一、六二五畑地改良・県費単独事業
町  営四四農道整備高尾四六七畑地改良・揮発(きはつ)油税財源身替農道整備事業
町  営四六~四七腰道整備石戸宿・荒井一、四六〇畑地改良

(北本市資料・『埼玉県市町村誌 第四巻』より作成)


昭和三十年代に入ると米需給関係の緩和(かんわ)、農産物需要の多様化と高度化、農業労働力の他産業への流出などによつて、戦後の食糧増産政策は転換の兆(きざ)しを示しはじめる。これを政策面からみると昭和三十二年に発足する「新農山漁村建設総合対策事業」の推進であり、さらにこの状況の深まりの中に成立する昭和三十六年以降の基本法農政——-構造改善と選択的拡大再生産---の展開である。いいかえれば、機械化の導入で労働力に余裕を生みだし、これを需要の高い畜産、果樹、野菜等の諸部門に振り向け、農業の他産業なみ所得を実現しようというわけである。
北本の場合、新農山漁村建設事業は荒川沿岸の上沼(かみぬま)・下沼(しもぬま)両耕地における陸田整備(揚水機設置と用水路開設)となって実現する。耕作者は二六〇名を数え、約六十ヘクタールに及ぶ上沼・下沼の陸田づくりの苦労は、記念碑(高尾)となって語り継がれている。

写真8 荒井橋下の土地改良記念碑 平成3年 高尾

その後も数次にわたって古市場、山中で谷津田(やつだ)やこれに隣接する低湿な畑地での排水改良と区画整理が行われ、さらに北中丸では果樹、畜産、野菜づくりの発展を目指して圃場(ほじょう)整備が進められた。なお、昭和三十九年、昭和四十三年に着工された花ノ木、宮内両揚水機場は、陸田増加と用水末流部の宿命的な水不足に対応すべく設置されたものであるが、これを側面から促進したのは、高米価水準に基づく米作意欲の高さであった(現代No.七十五)。
昭和三十年代前半に発足する新農山漁村建設事業は、農業を取り巻く環境の激変によって所期(しょき)の効果をあげる間もなく、後半の基本法農政期に移行する。こうして昭和四十年代に入ると北本の土地改良事業は荒井、高尾、石戸宿で行われた農道整備---畑地改良---が示すように、農業機械の導入を前提とする生産基盤の整備と、これから生み出される余剰(よじょう)労働力を成長部門の果樹、野菜、畜産の経営に振り向けるようになる。昭和三十年代の事業の多くが旧中丸地区に施行され、田畑の用排水改良を目的としていたことに比較すると、昭和四十年代の事業は主として旧石戸地区に施行され、農道や圃場(ほじょう)の整備による畑地改良に主眼がおかれていたといえる(現代No.七十六)。
地形起伏の大きい荒井・高尾等における土地改良事業は、やがてこれらの地域に果樹栽培や畜産を定着させる誘因(ゆういん)のひとつとなり、他方、用排水改良に努力を傾けた旧中丸地区では、間もなく米作付転換政策の中で農業への展望を見失うことになる。

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