北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第3節 食糧増産時代の北本

6 市町村合併と農業団体の統廃合

戦後の農業共済制度と意義
戦後の農業共済保険制度は、農地改革によって創り出された自作農体制の維持・発展と食糧増産政策の遂行を目指して、昭和二十二年十二月に発足する。新生日本農業の根幹(こんかん)にかかわる大きな政策目標を掲げて発足した農業共済保険だけに、内容もまた画期的なものであった。たとえば、当時の基幹作物である米、麦、 蚕繭(さんけん)を保険対象とした全危険作物保険に、大家畜(牛・馬)の死亡、疾病(しっぺい)、廃用(はいよう)と中家畜(山羊・緬羊(めんよう)・豚)保険を組み合わせ、さらに全農民の強制加入と保険料の五十パーセント国庫補助を制度化したものであった。
すぐれた理念をもって発足した農業共済制度であったが、間もなく運営面で重大かつ困難な問題に直面する。そのひとつは、制度の仕組みに対する農民の不満---共済金を貰う地域・人たちはいつも決まっている。毎年掛け捨てだから脱退したい---であり、もうひとつは保険収支の赤字が累積し、国・県レベルの事業運営が危機に直面したことである。
こうした問題点を解消すべく、昭和三十二年に全面的な制度改正が行われることになる。具体的には、それまでの市町村単位の保険料率が、耕地一筆ごとの生産力に見合う金額に改められたこと、保険需要に対応した共済金額の選択制が導入されたこと、国庫負担率が増大したことなどである。

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