北本市史 通史編 現代

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第1章 戦後復興期の北本

第1節 戦後自治の発足と村政

緊縮を強いたドッジライン
昭和二十三年アメリカ国家安全保障委員会は、米ソ対立が深まるなかで次第に対日政策を転換し、日本経済復興のため「経済安定九原則」を決定した。その第一~第三項は戦後インフレの収束のために、財政の均衡(きんこう)と信用の制限、すなわち(1)総予算の均衡、(2)徴税の強化促進、(3)信用膨脹の厳重な制限、の実施をあげていた。この三項を実現するために、翌年からドッジラインと呼ばれる経済安定政策が実施された。
ドッジは日本経済について、「日本経済は両足を地につけていず、竹馬にのっているようなものだ。竹馬の片足は米国の援助、他方は国内的な補助金の機構である。竹馬の足をあまり高くしすぎると転んで首を折る危険がある。今ただちにそれらをちぢめることが必要だ」(『朝日新聞』昭和二十四・三・八)という有名な竹馬経済論の上 に立って、通貨・為替(かわせ)レート・インフレ対策について助言した。その中のインフレ対策とは、要するに歳出の徹底的な削減、公債の抑制、徴税の強化を原則とする超均衡予算・超デフレ政策によって健全財政を回復しようとしたものだった。このため末端の地方財政も緊縮を強いられ、昭和二十四年度北本宿村当初予算(約九〇〇万円)も、前年度決算に対して約半分に圧縮することを余儀(よぎ)なくされた。
ドッジラインは超デフレ政策を強行することで、戦後インフレを沈静化(ちんせいか)させたが、その代償も大きかった。それを地方財政についてみると、政府の歳出削減によって地方配付税・公共事業費・失業対策費が大幅に減額され、公債(こうさい)抑制のため起債が制限されたうえに、政府からは逆に借入金の繰上償還(しょうかん)を迫られた。さらに総合予算主義が徹底され、それまでの赤字部分を特別会計にして一般会計は黒字にする慣行(かんこう)が厳しく排除されるようになり、破綻(はたん)に瀕(ひん)していた自治体財政は壊滅(かいめつ)的打撃をうけたのであった。それのみならず税源確保とやりくり財政に悪戦苦闘していた担当者たちのやる気までも失わせてしまったのである。極言すればインフレ収束(しゅうそく)=日本経済の自立化は、地方財政ひいては生まれて間もない地方自治を犠牲(ぎせい)にすることで始まった。

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